患者さんの死を見ているうちに、鬱病、不眠症、強迫障害(自分の死に方について常に頭から離れない)になりました。辛いです。人間いつか死ぬし死に方は決めれないと思っても常に考えてしまいます。皆さんはどうやって割りきってますか?
おばちゃんとのネーミングですが、主様はお年はおいくつですか?
人の死は間近に見ていますが、自分の死は あまり具体的には想像してはいませんね。
しかし、人はいつか死ぬものと思っています。
死・・・こればかりは、その人の考え一つなので・・・
私は、そこまで深くは考えていません。その時考えます。
様々な書物や看護の書、ターミナルケアの書など今一度 お読みになり、自分の考え整理したらいかがでしょうか?
あまり考えすぎると、メンタルやられちゃいますよ。
時の流れと受け入れています。
対象者の生きざま、家族での在り方等を学ばせられます。
ただ、それだけ。
いつか死ぬ。いちばんつらいのは、残される家族さんだと思います。だから、出来る限りいつ家族さんが患者さんを見ても不快感を抱かないように、患者さんを身綺麗にしてあげたい。
割りきる…とはなかなかいきませんが、患者さんが、家族さんがつらい気持ちになることが少しでも少なくなったらいいなと思いまだまだ力不足ですが、看ています。
すごくつらいのなら心療内科を受診して薬を処方してもらったらどうでしょう。
無理しないで下さいね。
あなたは、患者さんにとても親身になって看護されていたのですね。
患者さんとの別れは本当に辛いです。
これで良かったのかどうか、自問自答することも多いです。
特に終末期のがん患者さんの看護はいつも考えさせられました。
ときには、自分に置き換えてみたりして不安になることもあります。
しかし、亡くなった患者さんは私達にネガティブになることを望んではいないと思います。
スタッフでケアのふり返りをし、何を学ばせて頂いたのかを明確にして、次の患者さんのケアに活かしています。
一個人の人間としての感情と看護師としての捉え方は区別するようにしています。
どういう死を迎えるかを別の捉え方に変えると、どんな生き方をするかという事だと私は思います。
あなたが、心身に大きな負担を抱え、治療が必要な状態でしたらまずは心と身体をゆっくり休めて回復を待ちましょう。
今はあせらずに先の事はその時に考えればいいかと思います。
どうぞお大事になさって下さいね。
患者さんの喪失への苦悩(スピリチュアルペイン)が、ご自身の身として感じられるから苦しいのでしょうね。おそらく今の状態は、他者の「死」からご自身が生きる道筋を見出していくための反応だと思います。
人の死は誰にも止められません。死に逝く人々に対して何もできない自分を見ることになります。医療者としての敗北、そのような感情が襲ってくるときがあります。死の臨床に携わる医療者に避けては通れないジレンマです。苦しいのです。
この敗北感、患者さんの「生きたい」努力も空しく死を迎えようとするときの苦悩と重なります。看護師自身の感受性と共感力が、患者さんの苦悩を自身の内面に取り入れているから、真剣に患者さんと向き合っているからです。つまり、死の臨床に携わる看護師に必要な感性がそうさせているのです。逆を言うと、その感性がなかったら患者さんのスピリチュアルペインに寄り添う看護はできません。
「生きたい」努力も空しく死を迎える患者さんに何もできない私、それを直視するのが辛くて目を背けたい、そういった心理が鬱や不眠を引き起こします。人の死は誰にも止められない、死を目前にして苦しんでいる人を救ってあげられない、これが現実です。
しかし、私たちはこれからも生き続ける存在であり、看護する職務があります。「私たちは岸から生きることを手伝うのだ」と、現在緩和ケア認定看護師になられた方が私に教えてくださいました。
「岸」とは、死に向かう人の延長上にあることを意味するのだと理解しました。つまり、私もまた誕生し、死に向かう途中に生きる存在であるということです。連続体であるということを意味します。「生きることを手伝う」こと、つまり生きてきた延長に「死」があるということであり、それまでの生きる過程に看護を提供する責務があるということです。
また、「生きてきたように死ぬ」とも教わりました。つまり「死に方」は「生き方」だということです。その通りなのですね。家族に看取られない状況は、突然の死以外で予後が知らされている場合、その人の生き方が反映されます。そのような状況に至った結果はその人が引き受けなければなりません。誰にも引き受けることができないのです。自己と他者の区別が必要になります。
私たち看護師は、患者さんの入院生活に必要な看護を行いつつ、苦悩に傾聴し、死まで生きることをサポートします。出来うる限りの看護を提供する、それが責務です。看護は対人援助職です。時には傾倒する姿勢が必要ですが、専門職としての職責を果たすことが求められます。
「人間いつか死ぬし死に方は決めれないと思っても」という言葉、非常に受身的です。この機に、ご自身がどのように死を迎えたいか、そのためにどう生きたいか、考えてみることをお勧めします。主体的に生きていれば、死に方を決められないことはありません。生きてきたように死ぬのですから。
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