看護師お悩み相談室

スポンサード リンク
相談を新規投稿する

トラウマについて

<2007年04月10日 受信>
件名:トラウマについて
投稿者:アンパンマン

私はまだ看護師になって一年目です。看護師になり病棟配属になった2週間目。プリセプターがついていたのですが医療事故を起こしました。そのことがきっかけで看護師が本当に怖くなりました。
勤務時間も長く、一日時間程度の睡眠でフラフラでした。それから半年もせず、その病院を退職しました。
地元に戻って再び総合病院で看護師として働く決意をし、頑張っていたのですが、やはり仕事中はトラウマが抜けず、不安、嘔吐の連続になり、病院にも通ったのですが職場に迷惑に成ると思い退職。もう看護の仕事から離れよう。と決意しました。
看護学校時代はとても大変な実習。国家試験等を乗り越えてきたので本当に悔しい。
どうしたらいいのか自分でもわかりません。
悔しいけど。看護師として働けない自分は、現実。まんせいき病棟で働こうかと思いましたがいまの精神状態で果たしてつとまるかがしんぱいです。

スポンサード リンク

No.1
<2007年04月11日 受信>
件名:無題
投稿者:とおりすがり

どんな医療事故かどのくらい患者や病院に損害があったか分かりませんが、不安が大きくしんどい様子が分かります。他の病院に変わっても状況が変わらないようなので、かなり精神的にきてますね。

老人ホームなどでケアスタッフとして働くのも1つだと思いますよ。
医療に関わることがないですから、そこまで神経もはりつめることもないでしょうし、生活に関わる楽しさもでてくるかもしれません。高齢者が苦手なら無理でしょうけど。

最期に慢性期病棟で働こうかと・・・と書かれていましたから、病棟で働きたい気持ちはあるように伺えます。医療行為が少ない精神科の社会復帰病棟や介護強化病棟
などもありますよ。焦らずゆっくり考えてみてください、道はひらけますよ。これからです。


No.2
<2007年04月12日 受信>
件名:乗り越えて欲しいなと思います
投稿者:オレンジ

私も、とおりすがりさん同様、どんな程度の医療事故で、患者さんや病院にどのくらいの損害があったかわからないのですが(新聞に載るほどのものだったのでしょうか?)、私自身、新聞に載らないまでも、小さなミスはよく起こし、ミス報告書を何枚書いたことか・・・(^。^A) 
 アンパンマンさんがその医療事故を起こした時、周囲のスタッフは精神的フォローはしてくれなかったのでしょうか? まだ仕事始めて二週間目だったとのこと、 いくら国家資格を持ったプロであったとしても、まだ不慣れな職場でのこと、周囲はアンパンマンさん1人のせいに押し付けたのでしょうか? 私は周囲のフォローの仕方の方が気になってしまいます。
所詮人間のすること、ミスのしない人間なんていないのではないでしょうか。 その為に医療現場では、何回も違う目で確認したりすることが行われているかと思います。
 職場の先輩と話をしていると「私は新人時代こんなミスをした」「こんな失敗をして泣かされた」「こんなことをして精神的ダメージをうけてしばらく休暇をもらった」など、色々恐ろしい(!?)話を聞かされます。
(^。^A) 一生懸命やっていても厳しい勤務条件の中、冒したくないミスをしてしまい、落ち込み、泣き、苦しみ、この仕事の怖さを知り、それを乗り越えて看護師として成長していくのではないかと先輩達を見ていると思います。 アンパンマンさんもその医療事故でこの仕事の怖さを十分に知り、苦しんだことと思います。 せっかく努力して勉強をして辛い実習など乗り越えてきたのだし、この仕事の怖さを知っているアンパンマンさんだからこそ、看護師を続けて欲しいなと思います。 これだけ精神的ダメージを受けるのだから、きっと責任感のとっても強い方だと思います。 とおりすがりさんのいうように、ゆったりとした職場で働いてみるのも一つの手かも知れませんね。 あとは、あまりにも精神的トラウマが強すぎるなら、カウンセリングを受けてみるのはどうでしょうか。


No.3
<2016年09月21日 受信>
件名:一緒に頑張りましょう。
投稿者:バイキンマン

私も、アンパンマンさんと同じようにミスをして、それから立ち直れずにいる一人です。
まだ、入社し、3ヶ月の頃そのミスはおきました。突然の応援で行った病棟に残っていた看護師は私と2年目の先輩2人しかおらず、病棟の看護師は手術に立ち会っていました。その患者さんの状態がおかしいことは分かっており、2年目の先輩に報告したのですが、導尿のカテーテル交換をしないといけず、施行した所多量出血、意識混濁状態になり、2年目の先輩に急いで報告したのですが二人で困惑してしまい、最終的に配属されていた病棟のプリセプターへ応援の報告にいきました。患者さんは、なんとか意識は戻ったのですが、その後プリセプターにみんなの前で私に向かって"患者を殺す気か"とどなられました。他のスタッフからも避けられるようになり、重大な事をしてしまったという後悔から、医療行為をする度、手の振るえ、過呼吸、幻聴に悩まされ離職しました。
現在、小規模多機能ホームで介護職として5年半勤めていますが、看護の夢は諦められず、准看護師免許をもっているということで看護職の方からいろいろ教えて貰いながら少しずつ褥創処置や注入、吸引、血糖測定、簡単な処置等も少しずつ出来るようになってきました。また、見取りの経験もさせてもらいました。
安定剤も服用してましたが、今は服用していません。
病棟にもいってはみましたが、緊急時頭によぎるのはそのトラウマの事ばかりで、発作がおきてしまい、その結果、また介護職へ戻されてしまいした。
でも、今の所へ来て、こんな自分でも、看護師で頑張っている先輩方が悪い方ばかりじゃない、看護の道を応援してくれる人もいる、病院もあると、少しずつ勇気も出せるようになりました。
看護の道を選ぶなら、まずは動くことだと思います。
私も、トラウマを乗り越えたくて、このままではいけない、今からどうしたらいいんだろうと日々悩み、自分自身の気持ちや周りに押し潰されそうになる時もありますが、アンパンマンさん一緒に頑張りましょう。


No.4
<2016年09月23日 受信>
件名:無題
投稿者:ジャムおじさん

ちょっと違う角度からですが、

私は看護師を辞めて1年間引きこもったことがあります。
その時に出会った、やなせたかしさんの詩「勇気の花が開くとき」あたり、
主さんの励みになるかも?

私は看護師に戻るとき、アンパンマンのぬいぐるみを買いました。
そして「私がピンチの時は、きっと私を助けに来てね!」とお願いして出勤したものです。
詩の、「僕が行くから、きっと君を助けるから」を心の支えにして、
私にとって「看護師に戻る」という勇気の花が開くとき、背中を押してもらいました。

 
スポンサード リンク

相談を新規投稿する
スポンサード リンク

サイト内検索

検索

看護師お悩み相談室HOME