看護師お悩み相談室

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高度な医療は国を亡ぼすのでは・・・

<2020年02月09日 受信>
件名:高度な医療は国を亡ぼすのでは・・・
投稿者:匿名

現代の高度な医療はちょっと行き過ぎている気がするのですが・・・
例えば心臓ペースメーカーの埋め込み手術には高額な医療費がかかるにも関わらず、その金額はほとんどが国の補助金。正直80歳、90歳もすぎた人に心臓が止まらなくする処置を施し、その後の医療費は国の負担・・・ってどう思いますか?(手術費用で数百万、その後の入院費は障害者扱いになるので本人負担はほぼかからずすべて公費、一生涯に数千万から数億の金額が公費で賄われる)
それに人工呼吸器。これも公費の負担が莫大。
病院については人工呼吸器管理料となるものが国から支払われ、その医療費は国の補助になる。(しかも今では人工呼吸器に特化した病院も建てられ、簡易の人工呼吸器を院内に50台近く稼働させ、その患者は指定難病患者で呼吸器で生かされているだけの寝たきり患者であるためすべてが公費で賄われる。)
一人の人間が死ぬまで数億~数十億程度の医療費が公費で賄っていることも。
人工透析についても、一人当たり年間500万近くの医療費が公費で支払われ、20年人工透析を受け続ければ1億円近く。(入院なしの通院のみで)
新しく出たC型肝炎の経口治療薬も、全期間治療を受けた場合600万ほどかかる費用がこれもほとんどが公的補助金で・・・
また障害者についてのバリアフリーや環境整備の問題についても、ある程度までは理解できるが、生まれながらに障害があり生産性のない人間に公的補助が一人の障害者が死ぬまでにかかる費用も数億単位ではないでしょうか?
病人や障害者にも権利はあると思いますが、かたや、障害とは認められなくても働けない、仕事がない、収入が少なくぎりぎりの生活などの人間もいるのに、健康であるというだけで逆差別を受けている気が・・・
世の中どうなっているのよ~?

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No.1
<2020年02月09日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

生産性というなら、障害なくても生産性のない人間やむしろ有害な人間のほうが世の中多そうですけどね。健康だけど働けない、仕事がない、収入が少ないという人で、もう一切の努力や工夫の余地がない人ってどのくらいいるんですかね?
私がこれから事故にでもあって生産性のない障害者になったらすぐに首でもくくらなきゃ許されませんかね?障害児産んでしまったり生まれた子供が重い障害を負ってしまったら山にでも捨ててくるべき?主人が全マヒですけど、主人がいてくれたから私は生きて働いてそこそこ稼いでます。一人なら生産性なく引きこもってても餓死してもどうでもよかった。なら生きてるだけの障害者でも生産性に貢献してませんか?私の生産性なんて取るにも足らないとおっしゃるでしょうけどね。働けない障害の子がいるから75歳過ぎてもフルタイムで働いてる人気の開業医先生も近所にいますよ。本音は60歳で引退したかったみたいですけど。
まあ医療や福祉は全廃して、ついでに膨大な管理費用のかかる刑務所とかも廃止すればずいぶん国のお金は浮きますね。ろくな社会保障制度がなくて個人のお金で命が決まる国もあれば、一般人は病気になったら高価な医療より呪術師頼りみたいな国もいまだにあるし、それでも人間暮らせますからね。
でもたとえばアメリカは戦争になったら膨大なコストと手間をかけてでも自国将兵の遺体はちゃんと回収するんだそうです。腐乱したりこまぎれになった遺体のかけらを集め、身元を割り出したり処理して棺に納める専門部署もあるそうで。いざという時に国がそこはきちんとしてくれるという国民の信頼と支持はお金には代えられないと。日本でもいまだにWW2戦没者の遺骨収集とかしてますね。ある意味、自分が何かあった時にあっさり見捨てられないと安心できる医療福祉制度というのもそれに似てる気がします。医療なら絶対的な義務があるわけでもないし、高額医療を受けるかどうか選択の余地はあるんですしね。


No.2
<2020年02月09日 受信>
件名:無題
投稿者:さくら

 私は持病があり、履歴書に書くと不利になる為書けません。
無理して仕事をしています。生活保護の人は、公費負担で医療費が無料なので羨ましいです。
 働かなくても食べていける。羨ましいです。
昔は田畑を売って治療費を捻出していました。90歳以上は、自己負担八割とすれば、家族が治療を拒否すると思います。


No.3
<2020年02月09日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

障害者や難病患者の福祉って、決して充実しているわけではないと思いますよ。ALS患者が家族に負担をかけたくないがために、人工呼吸器を選択できないケースが多い現状はご存知ですよね。「生産性がない」って怖い言葉ですけど。何を指しての生産性ですか?仕事ですか?生殖能力ですか?
逆差別と言いますが、自分の人生に対する不平不満をより弱い立場の人へ責任転嫁しているのでは?そういう思想があると、いつぞやの障害者施設での事件のようなことに繋がりかねないので、医療関係の仕事はしない方が良いと思います。


No.4
<2020年02月10日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

それやると、安心した生活は送れなくなるでしょうね。
姥捨山ですね。
あなたが同じ立場になった時にそれを言えたら多少の説得力が出てくるかも。

女であるというだけで特権を受けている気が・・・
世の中どうなっているのよ~?


No.5
<2020年02月12日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

その高額負担が負担にならないように上(官僚)が汚職やめれば解決するんじゃ無いですかね。明るみに出てないだけで賄賂やら何やらに使ってる人なんてゴロゴロいると思いますよ
上は汚職する、負担があれば文句言う
知るかよって思います
その席に座ってんなら国民の事第一に考えろ。それしてから文句言ってくれ。それだけです


No.6
<2020年02月12日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

障害者を抱えている家族はたくさんいると思いますが、自分がすべての介護や、医療費の負担を強いられれば、その家族を大事にできますか?
今の現実は、障害者家族は自分の負担を他人に擦り付けていませんか?
家族が本当に苦労して介護しているならばまだわかりますが、例えばNo.1様はご主人の年金などあるから生きていけるわけですよね。ご自身だけの収入で生きていけますか?結局ご主人を生かすことで自分が生きていけるからではないですか?その介護はすべてご自身でされていますか?
生まれながらに障害者を生んでしまったご家族も、ご自身で育てようとせずに施設に入れて、面会の時だけ「かわいい、かわいい」と可愛がり、自分たちで介護を行っていますか?もしご自身ですべての介護を行っていた場合にその子を「かわいい、かわいい」と言えるんでしょうか。
現実に障害者の家族を持っている家族の友人もいますが、「面倒見る気はない、でも子供だからかわいい、今の福祉はすべてやってくれるから、自分が面倒見る気などない」と言っています。
人工呼吸器をつけた夫を持ったご婦人が、仕事もせずに、毎日ご婦人は新しい服を着替えてきます。ご主人はもともと社長だったようで、年金支給があるから生かしているようです。
もちろん介護は看護師に任せっきりです。その娘も働いていません。この状況はおかしくないですか?
本来使われなくてはならない福祉が悪用されているのは事実です。
すべての福祉を否定するわけではありませんが、その傍らで、福祉にお世話になることも出来ずに、障害者を抱えている家族もいます。
生まれながらに、障害で福祉にお世話になり、人工呼吸器のお世話になり、高齢になっても人工呼吸器で生かされ続ける、そこに人権はあるのでしょうか?
みんな結局、自分の生活を守ることしか考えていないのではないでしょうか。
もう少し福祉の実態を変える必要はあるのではないでしょうかね?
せめて、家族負担を看護師や介護士の半分は家族も背負うべきであると思います。すべて他人にゆだねるなんておかしいと思いますよ。本当に大事な家族を生かせてゆきたいと考えている家族であれば、まずはその状態で生かせていることに本当に人権があるのかどうか、そう考えるのではないですか?
だからって、私は事件を起こしたりはしないですよ。
障害者に罪はありません、その家族が一番の罪を作っているのですから。


No.7
<2020年02月13日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

いやいや、なんで自分が全ての介護を担うとかいう話になるの…そんなこと誰もできませんよ。極論すぎ。そりゃそうでしょ、自分の人生あるもの。
私は重度障害者や呼吸器の人も普通に生きる権利あるし、その家族だって楽する権利あると思いますよ。自分が障害者になっても、生き汚くても生きてたいし。なのでそのための相互扶助として社会保障や負担は構いません。払います。家族が介護する人も、しない人も普通に生きていけるのが社会としての目指すべきとこだと思います。
呼吸器の人の妻が毎日服を着替えて何が悪いの?毎日服着替えるって普通ですけど…。旦那さんは社長だったの?だったら、過去に沢山仕事されて社会貢献されたんでしょうね。人の思想はそれぞれですが、私は別に文句ありません。障害者とその家族に対する見方のフィルターがすごすごて引きます。


No.8
<2020年02月13日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

No.6さん、1ですけど、「結局ご主人を生かすことで自分が生きていけるからではないですか」とはずいぶんな言い草ですね。心底怒りを覚えました。65歳を超えてから受傷したので制度上、障害者年金は対象外です。国民年金に特別障害者手当を足しても訪問介護と本人の生活に係る物品代で消える程度の金額です。私の稼ぎで生活の多くを賄っているのですよ。私が望んだことですから苦労とは思いませんが、まるで主人を食いものにしているかのような妄言の言いがかりはまったくもって心外です。
「その介護はすべてご自身でされていますか?」介護は365日24時間誰の手を借りてもいけないのですか?ひょっとすると入浴リフトなど福祉用具の使用すら贅沢だなんておっしゃるんじゃないでしょうね。私は自分が働きに出ている間は訪問介護を利用し自分が在宅しているときは自分で面倒見ています。排泄も移乗全介助も苦にはなりません。あなたは家族が障害を負ったらぜひ誰の手も借りずお1人で不眠不休ですべてをやり遂げたらよろしいでしょう。
あり余ってるお金ですべて外注できる人がどれだけいるのか知りませんが、「家族が一番の罪」なんて見も知らないあなたに断罪されるおぼえはありません。


No.9
<2020年02月13日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

主さんはなんで日本で看護師してるんですか?
他人の生き死にを生産性や公平不公平でジャッジなさりたいなら、共産圏の国にでも行かれたらどうですか?きっとシビアに判定してくれますよ。その場合、主さん自身も生きる価値ある人間と判定してもらえるか分かりませんけど。
No.1様に対して、「ご主人の年金目当て」とかよく言えますね…。看護職以前に、人間として恥ずかしくないですか?人権を語る資格ないですよ。


No.10
<2020年02月13日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

こうした内容を投稿されるということは、ご自身はどんな治療も受けない。ということを言いたいのですよね?
あなたがもし将来的にペースメーカーや透析が必要になったとしても、受けないという選択をされるのですよね?
そして、何があっても受診はしないということですよね?
そういう意味でこの投稿をされたということですよね。


No.11
<2020年02月14日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

人は必ず死にますが、新しい世代を残していきます。自分は永遠に生きる事は出来ませんが、次の世代にバトンタッチしながら現在まで種を保存して来ました。環境に適応出来ない種は、自然に淘汰されました。生物が年をとり、死を迎える事は自然な事です。80、90歳で高度医療を受ける必要があるのでしょうか?と、書き込みながらも、死ぬのは、怖いです。


No.12
<2020年02月14日 受信>
件名:必要な時には受けるべき
投稿者:はむ

福祉制度に対して、随分反感を持っていらっしゃるようですが、過去に何かありましたか?文面見ていると感情だけで物を言ってるような気がします。感情で物を言うとその反動しかかえってこないですよ。
私は福祉制度に対して必要な社会資源は受けても構わないと思います。
私自身、母親を三年前に亡くしましたが、元々心不全があり、増悪したために、入院しましたが亡くなりました。良くなったら在宅で訪問看護を入れながら在宅酸素を利用し、昼間は介護で、夜は私と息子で看ようと思ってましたよ。
ギリギリまで家で看ましたよ。息子もおばあちゃん子でしたから。資源に頼らずに何とかして面倒看ようと思ってましたが、私も、息子も必要な資源は使わせて頂こうと思いました。
息子は学校を休んでまで面倒看ましたよ。
経験してわかりましたが社会資源を利用したら国が滅びるとおっしゃってますが、それは主さんが考えることではないです。今から考えるともっと早い時期に資源を使うべきだったと思います。息子の為にも。
もし、レスピレーターや人工透析を否定するなら看護師という仕事は辞められた方がいい。
限界まできても社会資源を活用しながら家族とともに過ごしたいという気持ちのどこが悪いのでしょうか?
年金目当てとか、資産目当てで生かしておくとか、
そういう次元ではありません。


No.13
<2020年02月16日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

色々な考えがあっていいんだと思います。
主さんは、今までの人生で学び感じた事なのでしょうし、他の皆さんも、色々な看護体験、人生経験をして違う考えがあってあたりまえだと思います。
ただ、自分の考えを相手に押し付けたり、考えが違うから、考えがおかしいから、看護師辞めた方がいいというのは違う問題な気がします。
ここは自由に発言出来き、色々意見を知ることが出来る場だと思います。


No.14
<2020年02月16日 受信>
件名:13番様へ
投稿者:匿名

色々な意見があっていいのは勿論そうです。だからと言って、障害者や家族に対する主さんの発言は許せません。そんな見方もあるよねーと受け止められる範囲を超えています。
私は身内に重度障害者を持ち、障害者施設で働いたこともありますが、当事者・看護職どちらの立場をもってしても許容できません。こんな方には障害者の看護に携わって頂きたくありません。


No.15
<2020年02月18日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

多様な価値観があり多くの人が色々な意見を交わすことと、歪んだ憎悪に満ちた差別的暴言を垂れ流しにすることとは違います。
ましてここは特定の職業名を冠したサイトなのですから、どこぞの巨大掲示板に書き散らされるような有象無象の落書きとは意味合いが違います。自分たちの名誉のために一定の倫理観や自浄作用が働くことは何らおかしくありませんし、極端・過激な偏見の持ち主が特定の職業にふさわしくないと考えることも一つの意見にすぎないでしょう。


No.16
<2020年02月20日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

こういう話題だと、頭に血が上っちゃう人達、多いんですよねー。
もっと冷静に考えたらいかがかな?

80、90でレスピ付けられて意識もなく生きてる人間って、フツーに何のために生きてるのかわからなくないですか?ましてやそうなる前、色々自発的に活動されてた方とかは。

というか、まず、外野ではなく、そこまでして生かされてる「本人」は、どう思ってるんです?

そして、「あなた」は、そうなっても生きたいと思います?

たとえ本人がDMR望んでも、家族のエゴで寝たきりのままずっと生かされてる現状って山ほどありますよ?
そういう事実についてはどうお考えです?

多分、大事なのは、客観的な現状を知ることなんだと思います。
良いところで死ぬにしても、寝たきりのまま延命治療を選択して生きるにしても、どんな社会資源を使うにしても、何処にどれだけお金がかかるのか、誰がどんな負担を負うのか、きちんと皆が知るべきです。

「そういうことはあなたが考えるべきではない」とか言う人、居そうですけど、この国は民主主義の国でしょ?国民主権の国でしょ?
なら、「人権」とか「差別」とか、そんな言葉にばっか逃げてないで、きちんと現実を直視すべきなんじゃないんですか?

その上で、自分がどう生きるべきか、何を選択するのか、考えるべきなんじゃないの?

結局そういうところじゃないですか?違います?


No.17
<2020年02月21日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

各種の費用や予算について知ること、情報公開されることはもちろん必要でしょうけれどね。
そもそもトピ主がいろんなケースをごっちゃにして感情論にはしるから議論にならないんでしょう。
人工呼吸器1つとっても、80代90代で意識もない人の延命の話と、難病や重度障碍を抱えていてもしっかり社会参加してる人じゃ違いませんか?
前の選挙じゃALSの議員が2人当選して話題になりましたよね。
そこまで華々しくなくとも、人工呼吸器つけて身動き一つできないALSの壮年男性が意思伝達装置を使ってメールやSNSも使いこなし社会参加されてる例も知ってます。この方は「それでも生きたい」という強い意志を明確にし希望を持たれています。
頚損後遺症で生活全般に多くの介助が必要だけど普通に会話できて家族に大事にされてる高齢者や、同じく頚損の独居男性でベッド上生活ながらもパソコン使った投資でそれなりの収入を得ている人も身近にいます。これらの方々に「そこまでして生かされてる」とは私は思いませんし、私が同じ立場なら生きたいと思うような気がします。


No.18
<2020年02月21日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

90超えて意識なく呼吸器つけてる人、生まれながらの重心の人や子供、透析の人、意識はあるけど意思表示できない難病の人、透析の人…前提条件が様々で一概に言えない。
自分の父は難病で寝たきりになり、目も閉じたままで意識なんてないように思われてたけど。時々目を閉じたまま涙をこぼしていた。ショックだった。「逝かない身体」を読んだけど、著者の気持ちが痛いほど分かった。
閉じ込め症候群状態になると本人の意思は分からない。私の父は、そうなる直前まで生きたいと足掻いていたし死ぬのを怖がっていた。
生きるも死ぬも自分で選べたらいいけど、意思表示できなくなったら周りの者が答え出すしかないです。私はどんな形でも父に生きていて欲しかった。最後まで看取ったことに後悔はないし、誰に何を言われても恥じないです。それが父の意思に沿っていたのかは、あの世で聞いてみるつもりです。


No.19
<2020年02月22日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

確かに。一口に「寝たきり」とか「呼吸器付けている」とか言っても、色んなケースがありますね。
今までの議論、それぞれがそれぞれの経験やら何やらだけを根拠にして議論していたから全然まとまらず、感情論の応酬になってた感、あると思います。私はそう読みました。
本人はDNRなのに家族の意志(中には本人の年金目当ての家族もいます、本当に)だけで意識もないのに病院に預けられっぱなしで長々と生かされている人もいれば、本人も家族もそうなる前に一定の意思表示が出来ていて、寝たきりで意識なくても家族も献身的に介護をしているケースもあるし。
個人的には、私は前者を見ることが多く、後者であっても、「そうは言っても熱発も多くなってきてるし、もう寿命だよ。いい加減死なせてあげなよ……」とか思ってしまうことが多いのですが。

生まれながらの障害者の方とかは、周りからの介助がある程度必要な状態が元々の本人の生き方になってるから別として、高齢になって寝たきりになるとか、元々健康で自分の意思で自由に生きることが出来ていて、それが病気や障害で出来なくなることが想定されるような場合は、自分が意思表示出来なくなる前に、きちんと家族とかと話し合って、意思表示をしていくことが大切なんだなと。結局、それに尽きますよね。


No.20
<2020年02月22日 受信>
件名:本当にその人の幸福の為になるか
投稿者:匿名

本当にその人の為になっているのかと思うことがあります。人生の質を考えると。
誰の為か?と思うことも。
そもそも「助ける」とはどういうことか。
若い人がよく「人を助けたいから看護師(あるいは医者)になりたい」とか言いますが、人生のほんの一部分だけ関わってその後は我関せず。

私は終末期の、言ってみれば大きな急性期の病院の治療が終わり、その次、またその次と転院してきた患者さんを見ているので、
人がどれたけ自分の人生や病気との付き合い方を自己決定出来ているか疑問です。

幸福とは言えない状態の人間が多い国は、長続きしないのではないか?

全ての人が価値がある存在。看護を含む医療全体が、人間の幸福の為に発展していってほしいです。

 
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