看護師お悩み相談室

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患者様の死になんとも思いません

<2018年02月28日 受信>
件名:患者様の死になんとも思いません
投稿者:匿名

自分の病棟はステルベンは少ないですので、慣れてません。
それなのに、患者様が亡くなられた際に、感情が動きません。可哀想だなと思っても、それよりも、せめて平日の日勤でお願いしたい、という感情があるくらいです。
おそらく、自分が未熟で日々の業務をこなすのにいっぱいいっぱいだということもあるのだと思います。
それでも、同僚は、頑張ってほしいね、見てると辛い、などと言っているのを見ると、自分との感情との違いに驚きます。
考えてみれば、患者様の苦痛などの思いに耳を傾け、声を掛けますが、どれも心ないというか、心からどうにかしてあげたい!なんて思ったことはありません。苦痛を取り除くための援助は行いますが、業務として行っているだけ。頭では、今日はいつ帰れるか…なんて考えてます。

看護師として失格だとは思うのですが、看護師として自信がつけばそういった感情も芽生えるのでしょうか。
同じような方、いらっしゃいますか。


No.1
<2018年02月28日 受信>
件名:私もそうです
投稿者:匿名

私も主さんと同じような考え方です。
患者さんには申し訳ないですが、はっきり言って私が働く理由はお金のみです。
お金が稼げればいいので…(^_^;)
なので患者さんが亡くなった時も「早く葬儀屋来ないかな」とか「エンゼルケアめんどくさいな」とか思ったりします。
夜中に亡くなったりしたらほんとしんどいです。
看護師は世の中にたくさんいます。
主さんと同じような考えの方もいらっしゃると思いますよ。
少なくとも私がそうなので。


No.2
<2018年02月28日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

別に気に病むことではないと思います。わたしも患者様の死に対して、特に悲しいとか辛いとか思ったことはありません。親戚の葬儀でも特にそういった感情を抱くことはないです。

「人の死を悲しむ人=情に厚く、思いやりあふれる素敵な人」「人の死を悲しまない人=冷淡で感情が欠落した人」というようなイメージが出来上がってしまっているのでしょうか。でも、よく「自分は自分、人は人」というようなことを耳にしませんか?だとしたら、人の死でさえ他人のことです。

自分の力でどうすることもできないことに心を砕いても仕方がありません。人の死はあなたの力でコントロールすることはできません。医療でさえ、薬剤を使用して延命したりということもありますが、思い通りにコントロールしているわけではありません。人間生きている限り死は必然です。それに対して一つ一つ“自分が”悲しんだり“自分が”辛い思いをしても、特に意味はありません。悲しんだ人が自己満足を得られるだけです。こう言うと無味乾燥で、冷淡な人間のように聞こえてしまうかもしれませんが・・・

業務として苦痛の除去をお手伝いする、素晴らしいじゃないですか。もちろん人間関係の中で感情的なやり取りやつながりは必要ですが、それが十分になくても看護師として痛みの判断をする、薬剤の効果を判定する、医師と連絡を取り合って患者様に適した治療を提供する・・・という主さんの行動は看護師として全く問題ないと思います。


No.3
<2018年02月28日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

変ではありません。
防衛機制の「分離」が働いている状態なんだと思います。


No.4
<2018年02月28日 受信>
件名:無題
投稿者:x

感情に左右されないというか、鈍い方が仕事をたんたんとこなせる場合もある。
喜怒哀楽に振り回される方が、自分の精神の安定できる。

患者と悲しみ喜びを共有はしない方がいいと思う。

今は患者さんと接することがないけど、30才過ぎ40才過ぎてくると、
涙腺は緩くなってきます、柴田理恵さんほどおいおいと泣くことはないけれど、
嬉しいこと感動したことでも泣きそうになる。
でも、親が死んでも涙はでなかった。葬儀が終わるまで大変だーという思いが強かった。


No.5
<2018年02月28日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

私も同じですよ。
でも、それを看護師としてまずいのかな?と思うだけ、あなたの方が人間的だなと思います。
でも、看護師が患者さんやその家族と一緒になって可哀相だって思って感情的になったとして、それは良い看護を提供することに繋がるのでしょうか?
看護師としての視点があって、アセスメントがあって、ケアが出来ていて、患者さんが満足すればそれで良いと思いますよ。
看護師としては、勿論共感することも大切に違いないのですが、可哀相だから~とか、そういうのは不要だと思います。
要は、感情よりも客観的に看る力が大事になってくるのではないかと、私は思います。
自分だって、患者になった場合、「かわいそうだな」なんて思われたくないです。
自分の望むことを理解し、必要な対応をしてもらえればそれでいいです。
あと、患者さんは一人だけではないですよね。病棟の患者さん全体の安全を守ることも責務だと思いますので、一人の患者さんの気持ちに囚われたり、ステルベンに感傷的になっている暇はないのですから、多忙な時にそういった感情(平日の日勤が良かった等)を持つのも職業上は仕方ないのかなぁと思ってます。
感情的になる看護師もいれば、淡々と仕事をこなしていく看護師も居ます。
でも、みんながみんな、感情的になっていたら、誰が業務を進めるのでしょう?
いろんな看護師がいるからこそ、病棟は成り立っていると思いますね。
あなたはそれで良いと思います。そういう看護師も必要です。


No.6
<2018年02月28日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

同じですよ、最近ではこの人たちがどうなろうと私には関係ない、生きていればそれでいい、自分の勤務は無事に終わればいいと思ったりもします。ステルベンなんて自分の勤務に当たらないでほしいって思います。周りの人の発言も心がこもっているとはかまいません。私はお金のために働いてるだけなので働かなくても食っていけるのであれば仕事なんてしたくありません。


No.7
<2018年03月01日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

新人の頃は救命センターで働いており、初めてのステルベンは病院到着して数時間後に急死される患者さんでした。
その日の朝、元気に仕事に行ったのに、夜には亡くなっている…家族は受け止めきれずに、たくさんの大人が泣き崩れていくのを見たので(中には倒れる人も)、
「なぜ愛する家族と急に別れなければいけないのだろう」「この患者さんが急に亡くなるのはどういう理由があるんだろう」といろんな疑問が頭を駆け巡り、泣き崩れる家族の涙にもらい泣きしていました。
ある先輩は、「看護師のくせに泣くなんて」と叱り、ある先輩は「家族の気持ちに寄り添って涙が出るのは自然なこと。家族より先に泣くのはダメだけど」と言ってくれ、いろんな看護師がいてもいいんだなと思いました。
やはり急死される患者さんの御家族の様子を見ているのは辛いです。小児ならなおさら…。

年を経て…急性期病棟、ガン病棟、慢性疾患病棟(難病など含め)で経験すると、亡くなる=家族の感情としては、悲しい、辛い、だけではないんだなと思いました。いろんな患者さんや家族がいました。

私も今は、「スムーズに葬儀社に引き渡せるように、時間通り進むように、綺麗な姿で見送れるように」だけを考えています。
最後の最後に段取り悪くてゴテゴテして、「この病院…不信感だわ」と思われないように、少しでも「この病院だから最後は綺麗にしてもらえた」と思って貰えるようにを心がけているので、患者さんが亡くなって泣くこともないです。


No.8
<2018年03月04日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

ステルベンは、かなりありました。
私も何とも思わないですね。
親族なら、別ですが…。


No.9
<2018年03月06日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

別に問題ないですよ!
私もそうです。ちゃんとした業務して亡くなってしまったら引きずりません。
昔は気持ちが入りすぎて泣いてる同僚、むしろ怒られてましたよ!

いい意味で第三者的にみれたほうがいいのではないでしょうか!


No.10
<2018年03月09日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

小児科で働いてます。
小児の場合は辛すぎです。必死で泣くのを堪えてます。
患者がお年寄りだったらを想像しました。おそらく泣かないと思います。


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