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昨年の秋に、父をガンのターミナルで自宅で看とりました。その悲しみがまだまだあり、家で一人でいると思いだし、泣いてしまいます。

<2017年01月04日 受信>
件名:昨年の秋に、父をガンのターミナルで自宅で看とりました。その悲しみがまだまだあり、家で一人でいると思いだし、泣いてしまいます。
投稿者:匿名

こんにちは
昨年の秋に、父をガンのターミナルで自宅で看とりました。

その悲しみがまだまだあり、家で一人でいると思いだし、泣いてしまいます。

看護師で自宅で身内を看取った方や色んな方と話がしたくて投稿しました。

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No.1
<2017年01月05日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

何年も前ですが緩和ケア病棟で働いていました。

主さんが悲しいのは当然の事です。

亡くなって時が経っても寂しさは込み上げてくるでしょう。

親を亡くすこと…約束された別れでも辛いです。どうか泣いて欲しいです。
私はまだ若い年齢で末期ガンになった方を何人も見てきました。

子供の前では笑顔を絶やすことなく、ご家族が帰られるとひっそりと肩を震わせて泣かれていた方を見送ってきました。

あなたという子供さんを立派に育てて人生をまっとうされたお父様にどうか誇りを持たれ、いつまでも心に住まわせてあげてくださいね。


No.2
<2017年01月06日 受信>
件名:毎年両親を見送りました
投稿者:きんちゃん

はじめまして。
1年半前に父を自宅で看取り、半年前に母を癌で緩和病棟で看取た者です。

二人とも2年前にまでは(父は認知はあったものの)元気で自分たちだけで暮しておりました。

一昨年夏に父が肺炎で入院してすぐに母も腰椎圧迫骨折で緊急入院しました。

父は胃ろうをすれば助かったのですが、母の強い意見で胃ろうはせず
老衰を選びました。
(父は病院嫌いで 痛いことが嫌いでと常々母に言っていたようです)

せめて最期は自宅でと 退院後は自宅で姉妹協力して父を看取りました。

入院中の母は父の死亡には立ち会えなかったのですが
半年のRHを頑張りぬいてようやく歩行器で歩けるようになり自宅へ
帰ることができました。

ただ一人では暮すのが困難になったため同居しはじましたが、
半年で末期の癌がみつかり、入院後1ヵ月半後には父にもとへ旅立って行きました。

短期間に両親を失ってしまいましたが、未だ実感が沸いてはきません。

離れて暮しておりましてので今でも実家に帰ると両親が居るように
感じてなりません。

主様は ずっと一緒にくらしてこられたのでしょうね。

自宅でゆっくりと看取れた事は本当に幸せだったと思っております。

もっとこうすればよかった ああすればよかったって思いは消えませんが
その思いを他の方に置き換えて暮らして行こうと思います。

母との同居をきっかけに病院をやめ、今はデイサービスに勤めはじめました。
デイにこられる利用者様に両親に出来なかったケアが出来るよう
まだまだ未熟ですが頑張ろうろ思っています。

主様も 悲しい思いを他の気持ちに置き換えて頂けますようよう願っております。


No.3
<2017年01月06日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

主レスです。
No.1さん ありがとうございます。

私は、病棟勤務でたくさんの患者さん 家族と関わり看とりを行ってきました。

色んな家族をみてきましたが、どんな状態でも生きていてほしいと言う家族の気持ちや、でも変わっていく姿を見るのが辛い その姿で最期をむかえる辛さを痛感しました。

父は肺癌でした。手術をしても、お酒 タバコは止めることなく好きなことはして、2年後に全身転移でなくなりました。
休職し介護に専念しました。
こんなに貴重で濃厚な日を過ごしたことはなかったと思っています。

在宅で看とりたくて出来ない人が多い中、関わって頂ちたいた方に感謝しかないですね。


No.4
<2017年01月07日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

こんにちは
きんちゃんさん ありがとうございます。
両親共に亡くなられ、さみしいですね。
お母様を1年半で看とり、心の準備 文字にすると簡単ですが、心の準備なんてできないですよね。

私は、3年前に実家を出て、近くに住んでました。
きんちゃんさんのお父様と同じで父も病院が嫌いで、家が大好きな父でした。
私の勤めている病院だから入院したように思います。

最終的には脳転移でなくなりましたが、脳転移の兆候がわからず、認知がひどくなってきたんだろうしか思ってませんでした。
脳転移がわかったのも、手の麻痺がはっきりと出てきて、わかり入院。
そこで予後1ヶ月といわれました。

今思うと夏前からしんどさも出で、手足の動きも悪くなってきていたみたいなのに、効き側でなんとか生活ができ頑張ってくれてました。
排泄だけが少しずつ介助が必要になりました。
入院して介護区変を申請し、要支援から介護4となりました。
家では姉がいますが老老世帯で、自宅で看とりは考えてませんでした。
入院して4.5日して家族全員に病状説明があり、父が家に帰りたいと言った言葉を大切にし…。
カンファレンス、在宅調整など看護師として、家族として関わり、2週間で退院日を迎えました。
退院後は、食べたいものを食べて、外出もできると思ってましたが、日に日に悪くなり退院したその夜から食べれなくなりました。

すみません。長々と思い出を書いてしまいました。

きんちゃんさんの言うように、
あのときこうすれば…と思うことは、たくさんありますね。

肺癌からの脳転移をすぐ気づいていたら…。と思ったりします。
検査も一人では、じっと出来ず、私がプロテクターをつけて CTの検査を。
放射線療法も鎮痛剤をしてしていたら…。

脳転移の症状以外、肺 肝 骨 皮膚に転移がありましたがでていなかったんです。高齢の方は、色々な疾患を持っていますが、父も色々ありすぎて…。
大動脈瘤 慢性大動脈解離 腎不全など、
これだけの疾患を抱えながら、排泄意外は自分生活をしていたと思うとすごいとしか思いません。
父は、まだまだしたいことや家族と暮らしたかったと思いますが、全うしたと思うようにもおもっています。

父の思い出を投稿さしてもらいありがとうございました。


No.5
<2017年01月18日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

こんにちは
レス主です。
両親の診察に、休み希望を出し付き添ってました。
父が亡くなってからも母の診察の付き添いに行き、昨日 行ってきました。
やっぱりそこでも、父の事を思い出しますね。

高齢の方が一人で病院に診察。
大変ですね。

 
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