2年目看護師の男です。夜勤の朝方に亡くなった患者様がいたのですが自分のせいで死を早めたのではないかと罪悪感が募り師長に朝の病棟で話した時に泣きました。
主治医からもう厳しいといった内容のICを家族にしていた患者様で、酸素マスクをしていないとSpO2が50%台まで低下し、マスク外しが頻回なため日勤からミトンをしてました。夜勤中もミトンを外し、マスクを外してしまうことが多々あり、このままでは呼吸状態が危ないと上肢抑制をしました。ですが、片手のみです。
以前にも入院されてた方で変に思い入れがあり、かわいそうに感じてしまい片手のみだけでもと片手だけにしました。そのまま外すことなく朝方まで大丈夫だったのですが、オムツ交換や色々重なってしまい見に行けなかった最中にマスクを外しており、モニターを見て急いで行った時には心停止していました。
両上肢とも抑制するべきだったのかとすごい罪悪感に苛まれ、師長に報告した時に泣いてしまいました。
今思うと周りのスタッフに見られ、ものすごい恥ずかしく、仕事に行くのも恥ずかしいです。
何が言いたいのかわからない文章ですが、同僚の男の看護師が泣くのは引きますよね。
引きませんよ。
誰でも自分のした事で後悔が残ったり、辛い気持ちになれば泣いてもおかしくないですよ。
人として泣く事は恥ずかしくありません。
患者さんは何故マスクを外そうとするのか…。
あと点滴を自己抜去する患者さんとかいますよね。
それは理由があるのだと思います。
マスクをした方が楽だろう、点滴をして少しでも長く生きた方が良いだろう。それは医療を行う側の理論なのではないでしょうか。
人間の幸福って何でしょうね。
勿論、酸素マスクや点滴は必要でしょう。
相談者さんのせいで患者さんが亡くなったのではないと思いますよ。人には寿命があります。
自分の責任なのではないかと考えられる相談者さんは、きっといい看護師になります。お疲れ様でした。夜勤で患者さんの最後を看護出来てよかったですね。患者さんも感謝しているのではないでしょうか。
2年目といっても、若いか中年以上かで見方はかわります。
20代なら許す。それ以上ならヒク。
主さんのお悩みは、
1.病棟で泣いていたところを他のスタッフに見られたこと(プライドの問題)
なのか、
2.患者さんに行った看護が適切であったかどうか考えたいということか(振り返り)
なのか。
で、回答が変わりますが。
どうやら1のようですね。
泣いてしまったものはどうしようもない。
見られたものは見なかったことにはならない。
主さんのプライドの問題は、主さんの中で折り合いをつけるしかない。と思います。
そんなプライドの話よりも、泣いた理由。
いつ亡くなってもおかしくない状態の患者さんに抑制をかけたことが、適切であったかどうかを振り返る事の方が、主さんにとって大事なことだと感じました。
主さんは「やっぱり両手を抑制すればよかった」と振り返っておられるようですが…。
師長や他のスタッフも、主さんが両手に抑制をかけなかったことを責めましたか?
患者さんの家族も「縛ってくれていればもっと生きられたのに」など言われましたか?
マスクが適切に装着されていたとして、患者さんはどれほど延命できたでしょうか。
患者さんは、何故マスクを外したがるのか(マスクが苦痛だからです)
亡くなろうとされている患者さんにとって酸素飽和度は、手を縛られてでも維持したいものでしょうか。
泣く姿を見られて恥ずかしかった気持ちも分かります。
ただ、「やっぱり両手を縛ればよかった」の振り返り→次に同じ様な事があった時に両手抑制で対応することにされるのは、どうなのかと思い、長々と書いてしまいました。
ちなみに、同じ事例にかかわった場合、私なら真っ先振り返るのは「家族に付き添いを依頼すればよかった。」と「もっと頻回に観察に行けばよかった」だと思います。
失礼しました。
恥ずかしいことなんてないですよ!
それだけ責任を感じてしまったんですから。
元々シビアな状態で医師から家族に話していたのであれば仕方ないのでは?
むしろ抑制されることを嫌がった、もしくは苦しかったのであれば苦痛から解放されたのでは?
と私は思います。
私はステルベンに慣れてしまっているので貴方のお話しを聞いて反省しました。
私の母も低酸素の末期状態の時、自分で(たぶん無意識に)マスクをよく外していました。その都度付け直してあげていましたが、それが果たして良かったのか今だに考えます。
母としてはマスクが無い方が楽だと感じたのかもしてません。
こういうことはたぶん「正解」って無いのだと思います。
私は家族の目線から見て、抑制策をしないで見守って下さったナースの皆さまに感謝しています。
あまり思いつめないでくださいね、いろんな視点がありますから。
両上肢とも抑制するべきだったのかと、すごい罪悪感に苛まれ泣いてしまったとは・・・
両上肢とも抑制されて亡くなっていたかもしれないと思うと、ゾッとします。
患者家族に泣き顔を見られたのでなければOKですよ
過剰に看護師が泣くと、家族に「医療ミスがあったのか?」と不審がられます。
「かわいそうだから」とミトンを片方しか着けなかったのですよね、その時に片方しか着けないリスクは十分に考えましたか?
充分に考えた末に「安楽」を最優先したのであれば、自信を持ってください。
その時に自分が何を考え、周りにも相談し、協力を得る。その結果がどうであろうと最期の患者さんの表情が穏やかであったのなら自分の看護を評価する。
そういった判断や覚悟、評価が不十分だから、泣いてしまう(自己評価が低くなって罪悪感が出てしまう)のですよ。
マスクを着けていてもSpo2は90%以下だったのでは?
だとしたら呼吸困難感は持続していただろうと思います。どっちみち苦しい状態が長く続くか短くて済んだかの違いだけです。
最期は家族に看取られましたか?それができていれば悔いは無かろうかと思います。
男性ですから泣くことに対して恥ずかしいだろうと思いますが、皆泣いて通ってきた道ですから、気にしないでください。
もっと自信を持って。
その気持ちを大事にしてください。年数が経過すると、人の死も業務的に感じることがあります。いつまでも泣けるナースってかっこいいと思います
NO4さんの回答に賛成ですね。
結論を、抑制すればよかったとしている点が気になりました。
マスクを外すほど苦しがっていて、SpO2が50%台まで低下している肺の状況では、予後が短いことは明らかですね。
呼吸抑制がかかりますが、鎮静という選択肢も視野に入れる状況ですね。
看護師として出来ることは、抑制だけではありません。
患者さんの苦痛をアセスメントして、医師や家族に相談して、早い段階で付き添いをしてもらったり、鎮静をかけるなどの選択肢を提案できる力が大切です。
亡くなったことは、寿命なので、その点をいつまでも考えていても意味がありません。
一日、一秒長く生きてもらうことが看護ではありません。
死を早めたことに対して、罪悪感を感じるのではなくて、患者さんが苦しい時間を過ごしたこと、一人で旅立たせてしまったこと、家族が寄り添えなかった辛い気持ちに視点を変えて、同じことをしないように、自分ができることは何か考えてほしいなと思いました。
あなたの涙が、恥ずかしい涙にならないようにするためには、今後のあなたの行動にかかっていると思います。
私も4年目くらいのときに、夜間体動が激しくマスクを外してしまう患者様がいたので、カルテを書きながらずっと側に着いてました。休憩時間になったので、動いたりマスクを外したがることを伝えて休憩にいきました。
そしたら、見てないうちに外れててspo2が低下しレベルも低下…休憩してるうちに大変だったようです。
亡くなりはしませんでしたが、そのときは私が着けない間でも抑制しておけばよかったと思いました。患者様もきつい思いをしたし、スタッフにもバタバタさせて迷惑かけたなぁ…と。
抑制するかしないか、葛藤がありますよね。
医療安全の本でみたのですが、少しの情けが患者様を危険にさらしたり、命を奪ったりすることがあると書いてました。このご時世ですから、医療事故なんて言われたら怖いですし、自分の判断だけで、かわいそうだからとかじゃなく周りと相談してみたらよかったかも知れないですね。
でも抑制は逃げ道なんて考えはしてほしくないです。
家族とよく話合うべきだと思います。
ちなみに泣くことについては若いならなんとも思いません。
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