看護師お悩み相談室

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どうしても嫌いな同僚について。

<2015年04月13日 受信>
件名:どうしても嫌いな同僚について。
投稿者:裕子

現在の病棟に勤務して、4年になります。これまで、威圧的な先輩や嫌みな先輩がいましたが、なんとか耐えてきました。しかし、近頃産休明けの看護師が配属されましたが、その人だけは、どうしてもキライです。後からきたのに、偉そうだし、わかってないから指導したら、わかってます。みたいな対応をされます。かなり頭にきて、名前すら呼ばれるとイラつきます。
その人のために自分が異動や転職するのは違うと思ってます。嫌いなことを態度であらわしており、他の同僚は、私がその人を嫌いだと知っています。
でも、このままでは、私がどんどん追い詰められ病棟にいられなくなるかもしれません。どうしたらよいとおもいますか?

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No.1
<2015年04月13日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

どうしてもだめな人っていますよね。

良い所をみる等言う方もいますが私は難しく自分で修行だと思い耐えています。


No.2
<2015年04月13日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

自分が、威圧的な先輩や嫌みな先輩になってしまったのですね。

気分転換できるようなことを見つけて、仕事は仕事だわって思うようにしましょう。

後から来たのに偉そうって言葉、昔ながらの看護師の考え方に洗脳されているんでしょうね。


No.3
<2015年04月13日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

 どちらの立場も分かります。
 私も、どうしても合わないと思っている方と、長年働いています。
 職場の対応を思い出すと、何かににつけてというか、相手の対応にイライラする方が多いです。
 そして、その方のために、自分の精神衛生上、自ら異動する方もいれば、退職される方もいます。また、愚痴を言いながら、異動をせず勤務されている方もいます。
 波長が合わないとか、どうしても態度がちゃんとしていないなど、気になることは個々あるものです。
 自分は、異動したくないのであれば、少しは気にしないようにする。相手は、そういう態度をする方なのだ。そういう方なのだ。そうやって生きてきたと、感情を落ち着ける。
 私は、今日職場で、「生まれた時から、一人ひとり感情の出し方(性格)は違いますし、育った家族・環境が違うなど、これまでが違うのであるから、相手を嫌だと思うわけにもいかないなあ。理解していくことも必要だ」と考えた所でした。そして、私もあまり関わりたくないと感じていた方が、自ら~しますと、私の為に役を引き受けてくれたことがあり嬉しかったです。きっと、嫌な部分だけではなく、人には優しい部分がありますから。
 人間関係で、苦しむことから、相手を理解するなどの自分が成長できる部分もあるかもしれません。私は、合わない人とは、無理して関わることはせず、気にしないで仕事をしています。また、いろんな方を見本に、なりたい自分らしさは、どんなものでしょうか。私の場合は、自分の弱い部分を少しでも成長させること。そのために、無理に関わらないことであったり、合わせない自分も知ってもらうことなどしています。
 自分の無理しないなどや、自分は相手と違うタイプですと、自分らしさのオーラを出していると、相手も周りに対する態度も変わってきます。過度の要求をしなくなるというか。
 相手のことに目が行きがちですが、その中でも自分はどんな生き方がしたいのかに目を向けています。愚痴を言い合っているのが好きなのか、それともキャリアアップであったり、自分の内面を磨くことに比重を置くのかなど。何かが見つかるのか。
 私は、自分の体と心も含めて、健康・魅力に関心があるので、相手の行動に目くじらを立てないようになりました。


No.4
<2015年04月13日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

ご苦労様です。
いますよねそんな人。
徹底的に無視できたら良いのですが、同僚ですし、同じ勤務帯で働く時はむりでしょう。
協力しなければ、危険な状況になるかもしれません。

嫌いな人は自分に似てるか
自分のコンプレックスな部分を持っているのではないかと思いますが、違うでしょうか。

今は無理でしょうが、少し時間をあけて、そのひとを見てみてください。
案外 良い面を持っているかもしるません。
長い目で見てみてください。


No.5
<2015年04月14日 受信>
件名:かかわらない
投稿者:匿名

嫌いだからと言って態度にあらわすのは、社会人として如何でしょうか?
誰にでも苦手な人はいるわけで、だからといってあからさまな行動に出ません。
人の受け取り方によってはいじめととられる訳で。
上司や周囲の方の印象がわるくなるばかりです。
どうしても嫌なら、関わらない方法を考えた方が建設的ではないですか?


No.6
<2015年04月14日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

どこにでもいますよね。
人間だから、仕方ないんですよね。
私も今の職場で、どうにも合わない人がいて、向こうも私のことを
多分良くは思ってないみたいで、そういうのは相思相憎なんですよ。(笑)
こっちが嫌ってれば、向こうも自分のことを嫌っていると思ったほうがいいです。
だからきっと向こうもあなたのことが嫌いで、そういう態度をとるのだと思います。
お互いが嫌いなもの同士なんだから、気にせずお互い避け合っていたらいいと思います。
あからさまにみんなの前でその人の悪口を言ったりするのはやめたほうがいいです。
そして、あからさまに相手に対して嫌いな態度をとるのもスマートじゃないですよね。
ただ、関わらないように心掛ければいいのですよ。
私も、嫌いな人がいるので、なるべく避けて働いています。
できるものですよ。
どうしても関わらなければならないときは、最低限の我慢をしてその場をしのぎます。
私は、この4月で2年目になった新人さんのことを大嫌いで
見るだけで鬱陶しくて嫌いなんです、口もほとんどきかない暗い子で
髪の毛もボサボサにしていてだらしなさそうだし、嫌いなんです。
でも、関わらないようにしているのでそれほど気になりませんよ。
何かどうしても一緒にケアをやらなければならないときは、完全に無言でやっています。


No.7
<2015年04月14日 受信>
件名:同感
投稿者:匿名

「嫌いな人は自分に似てるか。自分のコンプレックスな部分を持っているのではないかと思いますが、違うでしょうか。」と、この言葉、聞いたことがあります。
うらやましいと部分とか。自分が、我慢している部分とか。
すべてがそうとは、限りませんし、自分と違いすぎてと、価値観や態度の違はあるものです。
 あの人は、~の態度だから、~という病名だと思うよなどと、(例、発達・・)勝手に病名に当てはめて、だから仕方ないかとか推測され、固定観念で見ようとする方もいます。
 この社会は、仕事も忙しく、個々の態度の違いなどから、仲間意識をつくり、愚痴でストレスを発散されるようなことが多いのではないでしょうか。
 人は、やさしくされたいと、誰もが考えています。やさしくされると、いい人だと実感することがあります。あわない方に、やさしくすることは、たやすいことではないかもしれません。
 私は、今度、合わないと感じる方に、普通に接すること以外に、ふとしたことで自分が可能な時に、親切にしてみようと考えた所です。
 自分を守るために、強がったり、主張される場面があるのだと察します。
 今日は、ある方が、ある方に、無意識にしかめっ面をしていた場面がありました。
そうされた相手が、もし親切にすることがあれば、関係性は少し普通になってくるのかと思います。
 産休開けの方は、育児のこと・仕事のこと。考えることがあり、一杯一杯で、仕事をこなされているのだと思います。同僚としては、しっかりと仕事をして欲しいという気持ちもあるから、余計気持ちが高ぶることもあるかもしれませんし。
 産休明けで、病棟勤務は、頼もしいですね。夜勤もされるのかな。私だったら、日勤のみの職場にしたいところですから。
 毎日、仕事であっという間です。毎日、目の前にいる職場の同僚から、自分のあり方を研究(?)しています。


No.8
<2015年04月15日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

同じような同年代の後輩がいます。
あまりきつくならないように、「こういう時は○○してくれると助かるな」というような言い方をしてましたが、あまりにも「でも、だって」が多いので、放置しています。
私はプリセプターじゃないし、後で困るのはその人です。
「嫌な患者」と思って、表向きだけ当たり障りのない対応してたら、勝手に私の事を「うるさい事を言わない良い人」と思っているようです。
たまに、食事に誘われますが、もちろん断ってます。

キレそうになった時は、「嫌な患者が一人増えた」と考え、スルーです。
たいていは、後で、プリセプターに突っ込まれていますが、最近はプリセプターも見放し気味のようです。


No.9
<2015年04月15日 受信>
件名:嫌なことがあっても顔に出さないことです。
投稿者:匿名

自分と相性が合わない人や何かに付けて突っかかってくる人はどこの職場にもいます。前職で二対一でいじめのようなものでしたが、相手にせず平然として普通にしていました。嫌な顔をしたり影で誰かに悪口を言うとその人の思うつぼだし(相手が困った顔をしていると楽しい)、告げ口する人がいます。そういう問題のあるような人はプライベートな事で悩みがあったり幼少期に親から十分な愛情を受けてこなかったせいで素直になれず、攻撃的な態度を取るのだと本で読んだ事があります。私もその人の事が嫌いで顔を見るのも近くにこられるのも本当に嫌でした。ビジネスと考え顔に出さず頑張りましたがすごいストレスでした。ある時私は、嫌な事ばかり考えていてはいけないそんな事よりもっと楽しい事を考えようと思うようになりました。あなたも人の良いところにも目を向けてみてはいかがなものでしょうか?あまり気にしないことです。知らんぷりすることですよ。頑張って下さい。


No.10
<2015年04月16日 受信>
件名:№9
投稿者:匿名

 №9の方の意見について、私は、すてきな対応だと思いました。

 自分と相性が合わない人や何かに付けて突っかかってくる人はどこの職場にもいますね。
 素直になれず、攻撃的な態度を取る方と。
 
 そんな事よりもっと楽しい事を考えようとか、あまり気にしないようにすること、そうですね。私も、平然としています。価値観が違いますから。
 攻撃は、自分を守るためにしているのだとも言えます。
 「自傷他害」という言葉がありますが、言葉の使い方は異なりますが、攻撃も人に対する精神的な一種の他害であり、社会は他害をする方の方が多いようなと思ったことがあります。

 職場の人間関係も、給料の内というものあると思います。
 親族・家族・職場・社会、あらゆる人間関係が、自分のあり方を考える機会と私は考えています。そして、職場では、そのような人間関係を経験し自分を成長させるための、経験の場を与えられていると考えてもいます。
 攻撃する方は、やつあたり攻撃をすることで自分自身の問題から目を背け、安定をつくり人をコントロールする。そうやっていくのは、その方の方法であり生き方。
 平然として生活している方もいます。私は、その少数派であっても、平然を取ることが、私の生き方です。
 家族がいること。お金があること。仕事があることなど。だけではなく、自分のこれまで出来なかったことを行なえるようになったこと、つらいと思っていたことを、つらいだけではなくやってみようと考え、できるようになったこと、考えが変わることができたことなどで、うれしさが広がってきます。自分にとって、攻撃している暇は、ありません。
 じっくりと、相手の行動や自分の行動について考え、自分の過ごし方を試行錯誤していきます。
 自分の過ごし方が変わると、相手はやり場が無くため息が多くなり疲れたような仕草が多くなります。また、攻撃の勢いが弱まってきているのも分かります。なぜ、あの方は、平然として活き活きしているのだろうと不思議になってくるようです。
 回りの目を気にしなくなると、自分から何かに取りかかっている姿があるのです。
 仕事にそして、自分の過ごしたいように休憩時間を使う。
 仕事の毎日ですから、夜になると眠いです。  


No.11
<2015年04月17日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

回答ではなく、感想を申し上げます。

No9様、No10様のご意見に心安らぎました。救われる思いです。
『顔に出すもんか』『誰にも愚痴るもんか=誰も信用するもんか。皆が敵だ』と思っていましたが、それが余計に自分の生命力を削り、表情や動きを強ばらせていたのだと振り返ることが出来ました。

『具体的な問題は無いけど、全てがムカつく』
『私達の方が先に勤務してたのに、後から来た人がリーダー職に就くなんて許せない』
『後から来たあんたは、ここ居る価値は無い。死ねば良いのに』
…言われる度に相手を憎らしく思いました。いえ、今でも思います。
死にたいと思うくらい、悔しくて辛い毎日です。
負けるもんかと意地になるほど、自分の持ち味が消えていくのを感じていました。

『気にしない』なんて、言葉にするのとは比較にならないほど実際は大変です。
でも、本気で気にならない域に到達出来るよう先ずは『気にしない練習』から始めようと思います。

『攻撃してる暇はない』
本当にそう思います。
楽しいこと、与えられている幸せやチャンスに感謝して、色んなことにワクワクして生きていこうと思います。

元気をありがとうございました。


No.12
<2015年04月18日 受信>
件名:感想
投稿者:匿名

 どこでもある場面です。人々が、ムカッと来たり、いてもたってもいられない怒りの心境になるということは、日常見受けられる場面でもあります。
 そして、悔しくて辛いと。
 これは、中学生などの学生の時もあるものです。
 一人ひとりの相手の態度が、そして自分の感情からの表現であるでしょう。
 
 気にしない練習とは、一歩できそうですね。少しでいい、進めば良いのです。

 攻撃すればするほど、自分が強くなった気がすると思われがちですが、攻撃の感情を出せば出すほど、苦しさも自分の醜さも心身に染み付くものです。

 苦しみに蓋をするのではなく、どうすれば減らせることが出来るかは、一歩進んだことになります。
 どんな自分を作り上げるのか。
 相手の態度がひどくても、自分はその相手から何を学ぶのか。また、誰もが自分の中にも、イライラする態度が出ることがあることでしょう。そして、攻撃する自分の心を強化し作るのか。
 何を想像して生活するのか。
 相手の生き方ではなく、自分自身の生き方が問われているのです。
 相手の態度は、相手が考えた表現です。自分は、どんな態度をする自分を作りますか。
 自分の態度や考えは、自分が考えたものの表現です。
 私も、裕子さんのように、日々目にする対人について、考えております。そして、人生について教えて下さる尊敬している大先輩が身近にいます。そのため、学んだことをありがたく感じながら、自分を育てたい一心でいます。ですから、イライラは、減っています。私の今は、まだまだ、ひよこのような段階です。
 曇り、雨が多い心境から、晴天の太陽のような心に向かえるでしょう。
 自分を作る。
 相手の生き方ではなく、自分自身の生き方が問われている、自分の心の使い方です。
  相手の態度・行動すべてそのものが、相手を映す、相手の生き方ですね。そうなると、自分とは、を考えた時。自分は、どんな自分を鏡に映したいか。外見であったり、表情、存在。
  

 
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