今年、祖父が亡くなりました。
祖父は去年の10月辺りから入退院を繰り返していましたが、今年に入って急に容体が悪化しました。
私はおじいちゃん子だったのですが、以前の元気だったころの祖父しかイメージすることができず、入院して痩せ細った祖父を見て戸惑ってしまい、お見舞いに行ってもろくに話すことができませんでした。
その頃、延命措置はどうするか?という話を主治医としたのですが、私は「それで祖父が100パーセントすぐに元気になるならしてほしいけれど、意識もないのに心臓だけ動かすのは可哀想だ」とはっきり言いました。
私がでしゃばる問題ではないので、あくまで私だけの意見です。延命措置について最終的に決めたのは父でした(延命措置は拒否しました)。
その時、ちょうどいとこがお見舞いに来たのですが「そうやって(延命措置を)しないって言えるのは、看護師をしていて冷徹に考えているからだと思う。本当に祖父を思うなら延命措置はするべきだ」と言われてしまいました・・・。
確かに看護師という職業には就いていますが、延命措置をしないでほしいと考えるのは冷徹なんでしょうか?
また、祖父が亡くなる前日にお見舞いに行き、「また明日来るね」と言って別れましたが、諸事情によって行くことができませんでした。
そして、その日の夜に祖父が亡くなりました。
考えすぎといわれるかもしれませんが、先ほども言った通り、祖父が入院している間に満足に接することができず、またその上で祖父との約束を破ってしまったと考えてしまい、いまだに立ち直ることができていません。
冷徹、とまで言われた私は看護師は止めた方がいいのでしょうか…。
祖父の死をきっかけに看護師として頑張ろうと思うどころか、看護師として働いていてもいいのかと考えてしまいました。
看護師であるが故の悩みですね。
わたしは10年前に実父を癌で亡くしました。
癌の再発でした。
本当にいろんな経験をしました。
告知から看取りまで・・・。
わたしはすべての延命を拒否して、モルヒネで疼痛を取ってほしいと選択しました。
冷たいと身内に・・・妹に言われました。
つらかったですよ。
看護師でいていいのだろうか、と・・・。
わたしは遠方在住で、付き添いをして「また来るね」と言って帰宅した深夜に父は亡くなりました。
母にも「あれで良かったんかな・・・」と言われ、わたしはその後、精神疾患に罹患していまだに闘病中です。
延命処置の苦しさ、辛さ・・・経験はなくとも看護師をしていれば想像できます。
挿管したがゆえに長く苦しむ姿は医療関係者や実際に身内を看た人にしかわかりません。
でも、棺桶の中の父の顔はとても優しかったです。
モルヒネによる多幸感かもしれませんが、それが救いでした。
主さんは主さんで看護師として、現実を知る者として、間違った選択はされていません。
お祖父さまはきっと主さんを見守っていてくださいますよ。
わかってないのは、そのいとこですね。素人だから仕方ないですが。
あなたは確かな判断をしました。
自分はあなたの立場、患者の立場両方経験していますが、治らないで有効な治療がないなら、苦しむのは確実です。
意識がありそれなりに苦しまないなら、延命はありですが。
だれも、痛み苦しみはしたくはありません。
あなたは正しい。
私は癌で手術、化学療法、終末期を看てきて、私自身は延命治療は拒否、緩和ケア希望です。リビングウィルも書いてます。ただ、『人それぞれ』だと思います。
看護師だからこそ、冷静な判断ができたのです。悩む事はないですよ。私達は多くの症例を看ているからこそ、的確に判断します。延命したが故に浮腫み、ジョクソウができ、出血し、苦しい表情で、ただ生かされている。本人が延命を希望していたなら別ですが、私も延命は断ると思います。いつまでも忘れないでいてあげたら、一番の供養です。悩んでること、おじいさまは望んでないですよ。私は50才で子供が二人いますが私が亡くなったら「死亡届け出して、火葬して。それだけは頼む。そうしないとあなた達が逮捕されるから」と頼んであります。何が言いたいかと言うと、残された者の幸せが逝く人の一番の望みなのです。看護師である、あなたをおじいさまは頼りにしていたでしょう。死について悩んだ事もこれからの看護にいかされるでしょう。自信を持って看護師続けて下さい。
そんなあなただからこそ、同じような患者さん家族にアドバイスができるのではないですか?
これは非常にデリケートであり、難しい問題ですよね。
生前、きちんと意向を示してくれていれば迷うこともないのでしょうが…
正解のない答えではありますが、主さんの出された答えが冷徹だとは私は思いません。
それは、主さんがおじいさまのために一生懸命考えて出された結論だからです。
正解がないとはいいましたが、その人のことを思って一生懸命出した結論。
それが正解だと思います。
救命で働いてました。何人も機械で生かされてる人をみました。ある家族から、こんな姿になるとは思わなかったとか、機械をすぐに止めてと涙ながらに話す家族もいました。
私の祖父も最後の時、考えなくてはいけないのに答えを出す前に具合が悪くなり、別の救命にお世話になりました。呼吸器はつけたものの、他の点滴などは必要最低限のものだったと思います。私も身内にそのようなことがあったら、たぶんのぞみません。
おじいちゃんがのぞんだかな?って考えます。もちろん、看護師としての知識があってのことですが、相手の気持ちも汲み取ることができる看護師だからこその結論ではないでしょうか?生きてほしいは家族の希望、本人がどうしたいかはその本人をよく知る人が決める。あなたの決断もお父さんの決断も間違いではないと思います。
私なら主さんと同じ判断をします。決して間違いだとか看護師失格だとかは思わないです。
本人が食べたり飲んだり、趣味を楽しんだりすることが難しい状態、命の危険もという時に延命をしてどうなるんだろう?
おじい様くらいのご年齢だと機能を以前と同じく取り戻すのは難しい、それどころか日に日に落ちてゆくことが予測できますよね。
その中で機械や薬剤を使ってただただ命を延ばしている、そのいとこの様な人から見れば命をつないで大満足でしょう。
しかしその間、おじい様はどうでしょう?安楽ですかね?うれしいですかね?
おじい様がそこまでしても生きたいと願うならその通りにすればいいと思う。
けれど延命することによる苦しみとか耐えがたい苦痛は誰も代わることはできない。
主さんのいとこの言動も含め自己満足に過ぎないとどうしても感じてしまいます。
正しいとか間違っているとかの本当の答えはおじい様がどう感じるかだから推測に過ぎません。
ただ私は自分の両親や自分自身がそういう時がきたら延命はしないと意思表示しています。
ただただ生きていてほしいと願い、何も行動しない(お世話をしない、面会にも行かないなど)のはその人のエゴだと思います。
そのいとこはおじい様がご存命の時に何かしてあげたのでしょうか?
延命したとして、在宅でとなった時に果たして面倒を見るといち早く手を挙げたでしょうか?
人間いつかは命尽きるものです。
それを医療従事者は嫌というほど見ます。
それを経験してきた看護師である主さんを冷徹だとひとくくりにすることはいとこにはできません。
主さんは看護師であることに自信を持ってください。
余談ですが私も昨年祖父が亡くなり、入院している時に1度も面会に行けませんでした。
後悔しました、まだ何も孝行できていないと。
その後悔があったからこそ、祖母の時にはしたくないと退職して地元に戻ってきました。
祖母はまだまだ元気ですが、私なりにできることは恩返ししていきたいと思っています。
これも私のエゴだと思う人もいるかもしれませんが。
長文失礼いたしました。
主さんがご自分を責めたりされるようなことは、全くないと思います。
延命を、お祖父さまが望んでおられたわけではなさそうですし。
明日行くと伝えて、行けなかった後悔や心残りはあると思いますが、仕方がなかったことではないでしょうか。
お祖父さまも、翌日に来てくれなかったことは寂しかったりしたかも知れませんが、きっと、仕方ないと思われたのではないかと思います。
こんな言い方はひどいのかも知れませんが、外野は好きなように言うものだと感じます。
自分で責任を取る立場にはないのに、口だけ出してくると言いましょうか、対岸の火事を見て、自分には火の粉が降りかからない立場で、あれやこれや言う人、いますよね。
いとこさんは、お祖父さまの延命を望むのであれば、主さんや主さんのお父様に、事前にそのことを強く伝えておく必要がありましたよね?
でも、多分亡くなられた後になってから言われた言葉なのですよね。
それに、
延命するということは、お祖父さま本人だけではなく、つきそわれるご家族にとっても身体的・精神的・経済的負担がかかってきますが、いとこさんは自分もつきそいをしたり、医療費を負担したり、それなりの役割を担ってくれるつもりがあったのでしょうかね。
私も父を亡くしました。父一人・子一人の家庭でした。付き添うのも私、医療費を払うのも私、喪主も私でした。でも、親戚は、口だけ出してきました。
怒りを通り越して、そんな発言をする親戚が滑稽に思えてなりませんでした。
主さん、いとこさんのことは放っておいていいのではないでしょうか?
亡くなられた方のご家族には、亡くなられた後も、亡くなる前と同じくらいか、それ以上に色々大変なことがありますよね。手続きや法事や…。
まだまだ大変な時期にあるのではないかと思います。
そんな大変な時期に、その大変さを代わってくれる気も、労ってくれる気もないのに、言いたいことだけ言う人の事は放っておいて、ご自身のために時間を使った方が良いと思います。
お祖父さまだって、自分のことでお孫さんがお孫さん自身を責めたりすることは望まれないはずです。
身内の延命措置に対する価値観の対立により苦悩を抱えたのですね。
いとこさんは何もしないで看取るということに耐えられなかった、それが「冷徹」という言葉に表現されたのではないかと思います。
そして相談者さんはお祖父さまに対する愛着ゆえ、これ以上苦しめたくないという思いがあり延命措置を望まなかった。
どちらもお祖父さまの最期を真剣に考えていたのですね。これまでの相談者さんといとこさんの生き方(職業を含むすべての経験がその人の考え方を形作る)が延命措置に対する考え方に反映されたのでしょう。
相談者さんの苦悩はそれだけにとどまらず、最期の時を一緒に過ごすことができなかったこと、十分にかかわることができなかったことで罪悪感を感じていますね。苦しいですね。
「また明日来るね」と約束した、それだけで十分お祖父さまは孫であるあなたの愛情を受け取っていますよ。約束よりも孫が自分を気にかけてくれている、それだけであったかい気持ちになったはずです。ただ、孫がくるのを待っているだけの体力がお祖父さまになかった、お迎えが来るべき時だったのですよ。
私は、最期の時を過ごす人々には現実を生きる我々が大事だと思うことよりももっと深い何かを感じ取っていると思っています。人生のまとめをする時期、子どもを育て、その子どもが子どもを産み、孫までできた、自分のDNAを受け継ぐ孫は今後どのような活躍をするのだろう、そんな人生を振り返り、思いを馳せていたかもしれませんね。
私も高校(看護科)2年のとき肺がんで父を亡くしました。延命措置はせずに看取りました。うちの父は誰かに何かをされることを嫌いまして、最期まで自分でトイレに行くといってききませんでした。トイレ中に失神することも頻回、看護師に散々迷惑かけていたと思います。そんな父に延命措置をしたらきっと自己抜管していたでしょうね。父方の祖母、祖父は父の前に他界しており、祖母はレスピにつながれていました。父も見ていたはずですから、あえて延命措置を望まなかったでしょうね。父と祖母は同じ命日、父は祖母のもとに逝った。困った父親でした。そのDNAを受け継いでいる私、私自身も困った人なのでしょう。絶対延命措置は望みません。人工物を自分に入れられつながれるなどという最期は嫌ですね。
お祖父さまはあなたが誕生したことに感謝していると思いますよ。約束より何よりあなたが存在してくれ、孫(あなたの子ども時代)と一緒に遊んだ楽しい思い出を胸に旅立たれたのではないかと思いますよ。空の上であなたを見守っていてくれています。私自身、父に見守られ助けられたと思う場面がありました。それは死んでもおかしくない状況でした。生かされている、そして看護師でいる、意味があるのでしょうね。よくわからないけれども。
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