訪問看護をしています。自宅で肺がんの患者さんが亡くなられました。
息をしていません。と家族から連絡あり。先生にも連絡を家族は入れられたの事、私も先生に連絡、いれさせてもらいました。自宅に到着したときには、脈拍動なく、呼吸停止、心音は殆ど聴取不可でした。ターミナル期であり、延命的な処置は勿論なく、看取りの運びでしたが、先生が到着されるまで、1時間近く経過しており、先生の死亡確認まで、後できいたら、心臓は動いていたと聞きました。
先生はすぐには来て下さらず、府に落ちません。心臓は動いていたと聞かされ、こちらに落ち度があったように聞こえます。
私の被害妄想のようにも、聞こえますが、考えると辛いです。
このような、事例はありますか?
私も訪問看護をしていました。
在宅とはそういうものでは?
もちろん話し合いがなければ救急車で運んだり心マをしたり手を尽くす必要があります。
今回は何もしないとなっているのですからドクターを待つ。間にあえばそのまま看取る。
ドクター到着時に亡くなっていれば死亡確認をしてもらう。
そのあと家族との時間を差し上げ落ち着けば死後の処置にあたる。または葬儀社につなぐとなるでしょう。
また拍動を感じるのと心臓が動いているのは違います。
動いていても拍動は感じられないことも多いですね。
何もしないと決めていてもいざとなればパニクる家族も多いので立ち会う看護師の役目は大きいと思います。
私も訪問看護をしていました。
家族との思いのすれ違いで気分を害してしまうことはよくあることです。
特にターミナル期の看護は、何度も家族や本人に気持ちを確かめたり、話し合いを持つことは大事になってきます。
文脈からの推測ですが、ご家族が医療者に対し不満を持っていたということでしょうか。
家族、本人、医師、訪問看護師、その他関係者で最後はどこで迎えたいか、救急車で運ぶか、延命処置はするかきちんと話しを詰めていなかったように感じました。
そして、このように家族、医療者側、双方が「家で看取れてよかった」と思えるような最後にならなかったのはどうしてだろう、とステーション内で話し合うべきだと思います。
訪問看護は1人での訪問ですが、チームワークの看護でもあると思います。ステーションによって受け持ち制やチームナーシング制をとっていたりさまざまですが1つのケースを通して看護師1人1人がよりよい看護を提供するためにはどうしたら良かったのだろう、と振り返ることがとても大切だと思います。
決してQさんだけのせいではありません。今回は嫌な思いをしたかもしれませんが、このケースをみんなで共有して学んだことは次のケースに必ず活かせるはずです。
1人で悶々とせず、振り返りの話し合いの場を持つことをお勧めします。
この経験は決して無駄ではなかったですよ、あきらめないで、訪問看護を続けてくださいね!!応援してます。
お返事です。大変おそくなりましたが、すごく落ち込みました。
しかし、ひとつ、ひとつの経験を生かし今後も精進していきます。
>こちらに落ち度があったように聞こえます。
は
>先生が到着されるまで、1時間近く経過。心臓は動いていたと聞かされ。
したからですか?
初めから、在宅看取りの患者さんだったのですよね?
心臓は止まったあと、勝手に動き出したりしますよ。でも、それは「ただ無作為なバラバラの電気信号が送られ揺れているだけで、元の心臓の機能を果たす動きではない」
仮に、除細動器やAEDが近くにあったとして100%の救命率ではない。ましてや、在宅・終末期の看取りの方向で医療者と家族で合意していたのですよね。。。この流れに問題がありますか?
ここには書かれていない、別の理由があるのでしょうか?
文面では、何の問題もなさそうですし、あなたは何か不満がありそうですが、それが何かよくわからないのです。
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看護師お悩み相談室