療養型病院に勤務して間もないです。ここの病院も看取りをするようになり最後は何もしないのよ、家族も納得して入院していると話がありましたが、実際はもういつ呼吸停止が来てもいい状態の90歳で酸素10リットル、血圧測定2時間おき、採血も・・今まで経験した看取りは家族との関わりを持ち、口腔ケアや体交など最低限を行ってきました。これも看取りなのかと考えてしまいました。疑問に思って仕事をしている人もいるようですが加算も関係あるようです。現実はこんな看取りなのでしょうか。
医療と介護療養型です。IVH、気切、PEG、酸素、モニター、輸液ポンプ、シリンジポンプ、インシュリン等…寝たきりで意識ない高齢者の患者さんにそこまでするの〜?利尿剤しても尿量が少ないのは、内蔵の機能が低下しているのでしょう〜両上下肢から浸出液が?もう、そんなに輸液しなくても、患者さんが苦しいだけなのに。疑問だらけの毎日です??病院の利益?それだけの処置をしなければ療養型に長く入院出来ないのでしょうか?
療養型病棟勤務です。
一般病棟から「もう何もしないから」といって転棟してくる患者さまの看取りは、主さんのところと同様です。
尿が出ないのに点滴して、浮腫でぱんぱん。
血管も出なくなっているのに、採血。データみて何がしたいのか?
最後の最後に苦しませている、医療者(主に医者)の自己満足のために医療を施しているという感じです。
「何もしない」の中身が単に「呼吸停止時に挿管・心マなし」というだけです。
緩和ケア病棟勤務です。
緩和にいても、外科から病棟を移されてきたけど主治医はそのまま外科…って方は、必要のない点滴をされてむくみが出てる患者さんはたくさんいます。
そういう看取りに疑問を持つナースなら、勇気を持って医師に方針の変更を願い出るべきなのでは。
浮腫は苦痛を生むだけ、少しだけでも点滴は減らせないかと。
でもそのナースの意見だけなら弱いんです。
点滴の事だけで言っても、点滴を減らす・施行しないイコール栄養・水分を与えないという事が、患者さんの家族の目にはどう映るか。
病院側からしたら、点滴は医療的な処置をちゃんとしていますよアピールになります。
また家族からしてみれば点滴して栄養入れていれば安心、診てもらえている感がある、食べさせたいが食べさせてあげられない無念さを点滴によって気持ちをつないでいる場合もあります。
医者も同じです。
死は医療の敗北と捉えている医者も少なくありません。
医療的にこれだけやっても死には抗えなかったから「亡くなったのは仕方がなかった」と後で思いたい潜在意識が働きます。
何もしないではいられない医者も多いのが現状です。
点滴での栄養を必要とする方は予後が2〜3ヶ月ある方。
予後がそれ以下の方には点滴をするメリットデメリットを話し、選択してもらう事が大切なのではないでしょうか。
むくみと点滴は関係ないと思っておられるご家族がほとんどです。
ご家族がいるなら、ナースがご家族に点滴その他の処置に対する思いをよく聴いた上で、それを記録に残し、ナースカンファを開き、Drに上申しICを組んで行くという順序を経て対応されると良いと思います。
疑問を持っていても、それを声にしなければ形にはなり得ません。
少しずつでも変わっていけると良いですね。
研修に行ったとき、お役人さんが「ニセ超急性期の患者を作っている病院は淘汰されるべき、監査も厳しくしていく」と言っていた理由が分かった。
そんな病院、将来性はないよね。
みなさん、返答どうもありがとう。私の感じていることが変ではないことが分かってちょっと安心しました。入職して1カ月ですが、退職することにしました。看取りの件がやはり納得できなかったです。相談すると「疑問に思っていてもみんなやってるんだよね」疑問に思っていても変えなかったの?「先生が1年ごとに変わっちゃうしね、方針が決まらないんだよね」看護部長にも相談したところ、(部長も入職して1カ月)「あなたの気持はよくわかる。知らなかったわ。酸素10リットルなんて。(日報に書いてあるのに)本当におかしいわよね、でも事務と先生方の考えもあるでしょうし、酸素を使ったらそれなりに加算もされるからね。やっぱり老健(私、6年間老健でした)とはすこしちがうしね。」と。「でも私と一緒に悩んでいる壁を乗り越えましょう。」先生方とも相談していく必要がある等前向きな言葉があったら少し我慢できたかもしれません。私、弱い性格なので嫌になっちゃいました。でも皆さんの意見、ありがたかったです。
最後3日間、酸素10Lで苦しむ祖父を送りました。延命しないと医師とはなしてありました。5Lから10Lになったと看護師から聞いたときは、そんなに危ないのかと思いました。10Lになった次の日は意識ももうろうとしていました。祖父を見て延命しないとはこうゆうことなのか?酸素増やして苦しませることなのか?病院の処置に疑問を持ちました。3日目は私が帰るときに手を振ってくれました。奇跡が起きるかもと思いましたが翌日の夕方に亡くなりました。延命とは本人が苦しまないようにするものではないのか?医者の満足のためか?酸素を増やすことが延命しないことならば人工呼吸器でラクにさせてあげたほうがよかったのではないかと疑問だけが残ります。苦しんで亡くなったために亡くなったことをまだ実感できません。延命するかと同時にどういう処置をするか、本人はどちらかラクに過ごせるかを家族に提示するのも医者の仕事ではないか?酸素10Lは家族の望みか?苦しませてしまったことへの無念さだけが残っています。亡くなれば寂しいのは当然のこと、家族にはかけがえのない人の看取りであることを医療関係者に再認識してほしいと思います。
酸素が増えたことで苦しくなった訳ではないと思います。
肺から体内へ酸素を送り込めない状態であったため、酸素投与をしていたのでしょうから、肺の機能が低下したため5リットルの投与では足らず10リットルまで上がったのでしょう。(5リットルのままでは息苦しいだけですので)
たとえ人工呼吸器で呼吸状態は楽になったとしても、人工呼吸器が無ければ生きていけず、会話も出来ず、ベットから動くことも出来ず、食事も栄養剤を管で入れられ
いわば植物状態で長期間すごす苦痛と
『延命をしないこと』:出来る限り自然な形で苦痛があるがそれを排除(叔父様場合は酸素投与)して天命を待つこと
のどちらが叔父様にとってよいかを考えたとき延命をしない方が本人にとって苦痛は
少ないのではと医師は考えたのでしょう
何よりも延命の話が出たときから命が尽きるのが間もないことであり、その間かけがえのない家族と過ごすことが本人にとって幸せなのではないのでしょうか?
皆さんの意見は、病院が利益のために必要のない医療処置を行っているのはいかがなもんか?という意見に聞こえます。
私が思うのは、家族と医師の間でどのような話がなされていたか?が疑問です。医師は何回かの家族との話し合いの中で、看護師が知らない話をしている事もあります。
何が言いたいのかというと、私は病院の利益のために不要な医療処置をしているのではなく、患者が死亡した後のもめ事が面倒だから、それなりに手は尽くしたよ、と見せたいのではないのかな?と思うことがあったからです。
アドバンスケアプランニングという言葉をご存知ですか?それが家族患者と医療者の間で共通意識として、どのように死に向かい合うか、話し合いができていたら、不必要な医療はされないのかもしれませんが、きちんと話し合いができているところは少ないと思います。また、死に際になって、遠くの親戚とかやってきてクレームをつけたりしませんか?もっと医療をやれ!みたいな無茶難題をつけてくる方がいます。
医療事務の友人が言っていましたが、死に方に納得がいかないことが理由で入院医療費を支払い拒否する家族は少なくないそうです。看護師側から見て不要な医療でも、パフォーマンスとして必要な時もあるのかな・・・などと思ったりしたことがあります。
もちろん、過剰医療はするべきでないという、ここに書き込みをしている方々と、基本私も同じスタンスなのですが・・・。
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