看護師お悩み相談室

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患者さん利用者さんの死

<2011年10月20日 受信>
件名:患者さん利用者さんの死
投稿者:匿名

皆さんにお聞きします

患者さんや利用者さんの死で、落ち込んだ事ありますか?


ある利用者さんが施設で急変、そのまま亡くなりました。

ご家族からは
感謝をして頂いて、円満にトラブルもなくすみましたが、

もっともっと自分にできたことがあるんじゃないのか、自分の判断や行動に間違いはなかったのか、考えてしまいますし、
利用者さん
お一人お一人が本当に好きで、喪失感にも似た気持ちがあります

感情移入しすぎでしょうか?

似た経験がある方いますか?

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No.1
<2011年10月20日 受信>
件名:無題
投稿者:ツチノコ

オハヨウゴザイマス。

心中お察しします。
そのようなお気持ち、素晴らしいことだと思います。
自己嫌悪、葛藤…しかし施設の設備、装備、看護師の範疇での医療行為
あるいは自分のスキルetc
一番重要なのは、そのもてる能力で最大限利用者さんに接せていたかどうかが
重要だと思います。
このようなお気持ちから簡単には昇華は進まないとは思いますが
いつか、“こいういう経験が出来た。良かった”と思える日が来るよう
日々精進することが重要だと思います。

私事ながら40を手前に、自分も老健等に転職しようと考えています。
一般臨床で20〜30代と勤務しておりますが、日々ステルベンと接しています。
看護師成り立ての頃はとてもショッキングで、自己嫌悪に陥っていたものです。
しかし慣れは怖いもので、いつしか“しようがない”と思えるようになってくる。
そういう風に理由付けしてしまう自分が出来上がってしまいます。
ある意味、そういう風に割り切らないと日常業務として成り立たないのは事実です。
しかし、気持ちの中ではいつまでも匿名さんのように持っていなければならないと
思います。

必ず寿命を迎えることを念頭において、利用者さんの最良の死は
どういうものなのか、真面目に、フランクに話せるような職場、老健環境を
作っていければ良いですね。自分もそのような環境に身を投じることになったら
そのように努めたいと思います。


No.2
<2011年10月20日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

こんにちは

この度はお疲れ様でした。喪失感というとご家族の思いと量りかねてしまうので、不在感、と敢えて考えて続けます。昨日までいた利用者さんのいた席に、自然と足がむく、あれ? なんて事、ありますね…そうして関わってこられるようになるまで、たくさんの時間を他の利用者さんとスタッフさんと共有し、働きかけてこられた事って、ご家族にとっては大変難しい事であり、また心強かったのではないでしょうか。もっと何か出来たのか、と思うお気持ちが大切だと思います…


No.3
<2011年10月20日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

ご家族からしたら、迷惑かもしれませんが…

何年たっても思い出して、楽しかったエピソードとかも。


思い出として、宝になってます。

関わった方の死って、親戚のように思ってます。。。


No.4
<2011年10月22日 受信>
件名:相談になるかもしれませんが・・・
投稿者:匿名

30代男性看護師です。 2か月程前に後輩(3年目)男性看護師と夜勤をしてました。 彼は4月に入職。以前は2年間一般病棟に勤務(今は療養です)

定時のラウンドに回りはじめ、痰の絡んだ咳嗽を聞いたためその患者さんから吸引を始めたそうです。最中NsCallあり、吸引で落ち着いたところで、Callの対応に行ったそですが、3分もしないで戻ったとのことでした。なんとなく先ほどの患者さんが気になり、覗き込むと ”視線は合わず、吸引しても反射なく 急変していたそうです。 私が駆け付け間もなく当直医(院長)が病室に来ました。

後輩は急変し3分も経っていない まだ助かる  と思い蘇生をしていました(1人)
院長から”どこまでする人?”と聞かれ、DNRを伝えると”なにをしているのか”と
指摘され ”いくらDNRでも目の前でおきた急変になにもしないんですか?瞳孔も開いてないし、温もりが感じられるのに”と後輩が言いましたが
”急変時はなにもしないと話している。これが急変じゃないか” と。その後も後輩と院長のやり取りがあり・・。結局は患者さんは亡くなりました。
”患者さんが辿ってきた経過のなかでのDNRはわかります。でも今日、患者さんは命を落とすことはなかった。夜勤前に奥さんに会いました。”今日もお風呂に入れたね”って声をかえうれしそうに洗濯物を持って帰ったんです”と後輩は泣いてました。自分の若い時と重なり、見ていて悔しくもあり、そんな気持ちを持っている後輩をうれしくもありました。  
”これからもそんな気持ち持ち続けろ!ただ、もし蘇生できてたら患者さんは呼吸器につながれ、針を刺され、管を入れられる。 それは患者さんを苦しめることになったかもしれない。 蘇生できた!と思ってもそれは自己満足に過ぎないこともあるし、患者さんや家族が本当に蘇生されることを望んでるのか?今度は考えれる余裕も持ちたいな!”と声をかけると うずくまり泣いた後輩。自分も勉強させてもらいました!


No.5
<2011年10月22日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

フィクションの映画を見ても、人は感動したり涙を流したりします。
現実の死を目の当たりにして、心が揺れるのは正常な反応だと思います。
私も思い入れが強い方がいます。
看取りがおおい病棟なので、「本人・家族にとって良い時間を作るには」と考えています。答えは出ませんが…。


あと、施設であっても急変時の対応を家族・本人に確認して書面にしておくのは、医療現場ではたらく人の不安感を軽減し、トラブル予防にもなるので、徹底が必要だと思います。


No.6
<2011年10月22日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

特養で半日パートですが8年ほど勤務しています。
初めの頃は、食事・水分がとれないと即刻病院に連れていっていました。点滴や酸素、時には鼻カテや胃ろうからの栄養。全身はむくみ、療養病棟で1年以上いた方もいます。しかし、ホントにそれで利用者さんは幸せなのか…ただ生かされてただけで苦しかったんじゃないかと考えるようになりました。同僚たちと何故施設で死なせてあげれないのか悩んだこともあります。
実際、施設で利用者さんが老衰で亡くなった時はワーカーはもちろん、私たち医務も病院へ連れていくべきだったのか落ち込みました。
でもご家族からは感謝の言葉を頂きました。すごく不思議な気持ちでした。それからターミナルに関する本を読んだり、講演会に出向いたりして「私たちが考えていることは間違いじゃない」ことがわかりました。
人が亡くなること…長く施設にいる利用者さんなら尚のこと情もわくし、切ない気持ちにもなりますが、人は必ず死ぬということ・悲しい気持ちにならないようにたくさんの思い出を作ること・利用者さんの介護や最期に携われた事に感謝することが大事なんだそうです。何人かの利用者さんを施設で看取りましたが慣れることなんてありません。毎回泣いてます。
でも悲しい気持ちより「ありがとう、ご苦労様」と心から思えるようになったと思います。
つらい・悲しいと思えるということは、それだけ一生懸命利用者さん・患者さんを見ていた証だと思います。とてもステキなことです。
私もまだまだ未熟です。どれが正解なんてないと思います。今出来る事、利用者さんを出来る限りの介護・看護をして、最期が来たときに後悔しない・利用者さんにも悔いを残さないようにしたいと思っています。迷うこともあると思いますがお互い頑張りましょう!

 
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