看護師お悩み相談室

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ナチュラルコースについて

<2009年10月05日 受信>
件名:ナチュラルコースについて
投稿者:かりな

 今年3年目の看護師です。
 私の勤める病棟は慢性期の高齢者が多く、急変時はナチュラルコース(自然に任せる)の患者さんがほとんどです。
しかし予後がかなり良くない患者さんでしたが、家族が助けてほしいとのことで、人工呼吸器をつけました。薬でドロドロに眠らされ、苦痛表情を浮かべるだけで、話すことも出来ず、患者さんの体はどんどんむくんでいって、前の面影は全く失われてます。家族は患者の状態を見ていられない様子で「すごく苦しそうだ・・・。もっと楽にして上げられませんか?もうこのまま目を覚まさないんですか?」と訴えてきます。家族も人工呼吸器をつけて良かったのだろうかと戸惑っているようでした。その患者はそのまま息を引き取りました。家族にはきっと後悔が残っているんじゃないかと思います。最期の看取り時に、そのような家族へどう声かけしていけば良いんでしょうか・・・?
 また家族が希望したために人工呼吸器を装着したはよいものの、その後の患者の変化に家族が対応できない状況が多くあり、事前に医師からの説明は受けていても、実際とのギャップがとても大きく家族の後悔や悩みがかなりあるようです。
 私は最期は苦しまずに、無駄な延命治療はしないほうがいいと思うのですが。みなさんはどう思いますか??

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No.1
<2009年10月05日 受信>
件名:身内の気持ち
投稿者:匿名

弟を肺癌で亡くしています。まだ二十代でした。苦しまないで逝かせてあげたい、反面どんなに外観が変わっても意識がなくても一日でも長くこの世にいてもらいたい、そう願っていました。全身メタがあったので挿管は希望しませんでしたが。自分の身内となると冷静になれません。自分の子供がそのような状況になっても心臓が止まるまで温かい手を離したくないです。延命処置しても後悔、しなくても後悔、答えは難しいです。その時の事は霧がかかったように今もよく思い出せません。ナースに何を求めていたかもわかりません。ただ当たり前にバイタルとって処置して部屋を出て行く、普通の動きが言葉はなくても有りがたかったかな。1つだけ嫌だったのはステーションで笑っている姿でした。私が医療者として家族と接する時、レスピついてレベルも落ちてる時は「多分ご本人は思ってるほど苦しくはないと思いますよ。」と声をかけてあげると安心した表情になるように見受けられます。18年もこの仕事してるのに、未熟ものです。


No.2
<2009年10月05日 受信>
件名:同じく!
投稿者:みんみん

わたしも無駄な延命処置はしないほうがいいとつくづく思います。
でも医師のICがヘタなんですよね。あと治療続けるために(公立病院なので若手医師の勉強のために上がいろいろさせたがる)無駄に延命治療する方向にうまく誘導していくことも(怒)
ほんと見ていてツライです。

それに家族も医療の進歩に期待しすぎだと思います。TVで見たからとか、みのもんたが言ってたとか、「何してもいいから絶対助けてください」って…医学は万能じゃありません。
呼吸器つけて薬で寝かされ何ヶ月…家族は「このままでいいからそばにいてほしい」。自分がもし患者ならそんなになってまで生きたいと思うのか!って怒鳴りたいときもあります。自分のエゴしか考えられない家族も多いですよね。
なのにいざ亡くなりそうになると「えっ!明日会議があるから休めないのに」とか「けっこうあっけなかったですね」って最後まで自分の都合かよ!


No.3
<2009年10月05日 受信>
件名:私の病院
投稿者:匿名

高齢の患者が多くて急変時DNRのことが多いです。
たくさんの看とりをして、救命後の余後を予想できるから私達は本人家族のために、ナチュラルコースがいちばんよいと思えるのかなとおもいます。
でも家族さんは予想できないでしょうし、そうやって死を受け入れていくのかな…と。家族には無駄じゃないのかなとおもいます。(あまり会いに来ないくせに年金などあてにして救命を望むやからもいますが…)とにかく家族は事実を受け止めるのが難しい状況のなかで密に説明していくことがグリーフケアにつながるかと思います。


No.4
<2009年10月06日 受信>
件名:無題
投稿者:りんこ

患者さんは医療について知らないことも多いから、選択を与えるのも医師の仕事だとおもいます。

以前、がん末期の患者さんの血圧が低くなっていて、家族が血圧をあげる薬を打ってほしいといってきました。
医師は、今の状態では患者の心臓に鞭をうつだけです。と、丁寧に説明したら

理解してくれました。痛みは積極的に取り除くべきだけど、余計な延命治療は

本人も家族も苦痛をながびかせるということもあるという説明は大事だとおもいます。


No.5
<2009年11月17日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

ナースの方はDNAR確認後の看護に関して、いつも「どう考え、どう行動すべきなのか」自己を問う状況になると思います。がんに限らず私は生命危機状況にある終末期患者さんに向き合うとき、まず、患者や家族が今何を望んでいるのだろうかと考えながらそこへ行くこと、そしてとどまり、声をかけ、体に触れ、同様に家族の方にもナースとしてだけではなく、人として感じたことを表現しようと思うのです。その表現は、残念ながら私の場合、今までに自己の体験や患者ケアの経験からえた事からと思えるのです。つらい時、心から共感してもらった経験がありますか?私はたまたま、自分の母が、父親が脳出血でなくなったあと、いわゆるキッチンドリンカーとなりアルコール症で今考えても息ができないくらい苦悩した経験があります(母62歳、私は32でした)。急性期の専門病院で、どうにかやっと幻覚の要因がアルコール症と分かり、入院となった時ある看護師さんが、肩にそっと手をあて「大変でしたね・・」と声をかけて下さったとき、全身の張りつめた状況が一気に解放され、号泣してしまいました。そのタイミングと、一言だったのですが、こんなに癒されたような、包まれたような温かいほっとした気持ちになったのは初めてでした。そして、母とむかいあう勇気さえいただいたような気がしました。

で、今まで、様々な家族が苦悩しながらも、「うれしかった、よかった、しあわせものです、間違ってなかった、ついていたと思います・・」など話してくれるのを聞いてきました。「あの時、みなさんに助けていただいたから、看護師の皆さんによくしてもらったから、こんなに長く命をのばしてもらえて、お父さんは本当だったらとっくに亡くなっていたのに、家族とも一緒にすごせて何よりです。」と看護者からみると、いわゆる延命治療を受けている方でした。以前は、私も「もう何もしなくていいのでは」と思うこともありました。その時も、ベンチレーター管理であったので、顔や口腔内の清潔ケアを強化し、浮腫は点滴の量にまで医師に交渉しましたし、患者さんの外見も重視しました。黄疸はどうしようもなかったですが浮腫の増強は回避されました。看護は逆に強化し、患者の状態を看護で悪化させない努力と、家族ケアを強化していました。
意味があるか否かは家族のニードと、価値観が決めてであると思う今日この頃です。それと 「多分ご本人は思ってるほど苦しくはないと思いますよ。」と声をかけてあげる事は私も必ずというほど伝えますね。
勝手な物言いですみません。

 
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