どうして、みんな亡くなってしまうんでしょうか。以前書いていたメモ帳を、振りかって読み返すと、書かれている患者さんが、一人も生存していないことに気づいて、落ち込みました。平凡に生活していた患者さんが、繰り返す入院、治療で、体力が落ちていき、亡くなってしまう。次から次へと。急に来て、亡くなる人。家族に見守られず亡くなる人。頑固で気難しい患者が、脳メタで別人のように変わり、亡くなる。
辛い時に支えて、命を守り、退院を一緒に喜んだり、看護師が、命を助けるような気持でいた学生の時。患者さんを理解しようと必死だったように思います。
一日があっという間に終わっていきます。このままでいいのか、何に悩んでいるのか分からなくなります。
職業上とはいえ、ひとの死に立ち会う事は大変辛いですね。でもなっちさんは、その時まで、そのひとが生きる事に対して、出来る限り最善を尽したのだから、深刻に落ち込まないで欲しい。生きてる私達は、生死の境界線で苦しむ全てのひとをいつも確実に救う事は出来ない。神や創造主じゃあないから。だからといって割り切ればいい事でもない。なっちさんの目指す理想の看護があると思うから、最後まで諦めずに、元気になって立ち直って欲しい+目指す理想に向って欲しい。私は献血のみで関わってるけど、過去117回分全て無駄だった…かもしれない。今は日赤から停止命令あるので、何も出来ないけど。四月後半の解禁から献血再開するよ。私にも出来る事をやるだけ。
なっちさんが現在何年目の看護師かわからないですが、私も1年目から11年のキャリアを積んだ今でも
悩み続け、答えなんて一生でないと思っています。
人は生まれた瞬間から死に向かって生きています。それは悲しいけど現実。生きたい人が病気で亡くなり、死にたい人が自殺する。寿命があるから生きてる時間を大切にしなくちゃと私はいつも思っています。
病気でたまたま、なっちさんの病院に入院してきてなくなった方々。家族に縁のない患者さんも家族みんなに看取られ亡くなる患者さんも。。。それぞれに人生があって病院は人生の縮図みたいなもの。
縁があって最期の看護をできて、見送る事ができるのは悲観するような事じゃないですよね。
学生時代は1人の患者さんと向き合えば良かった。でも今は学生と違って、私たちは看護のプロだから、仕事だから、その場で悲しんだりはできないですよね。
でも家では大泣きしたっていいではないですか。その患者さんの会話や無念さを思って私はいまでも泣いています。死に慣れるのは駄目。でも死に馴れるのは仕方ない。
空しかったり、悲しかったり、自分の無力さに嫌気がさしたり...。でも最期の時はなっちさんが大切にしている看護を患者さんや家族さんに誠心誠意してあげてください。
患者さんを理解する。したい。それは、看護師のエゴだと私は思っています。でも気持ちに寄り添えるような気はしています。
やっぱり答えはでてきません。でもね、なっちさん、素敵な死のセレモニーもあるんですよ。
頑張ってください。
人はいつか死ぬんです。病気なり事故なり。
自分も明日生きているという保証はどこにもありません。
がんで亡くなる方は多いですが、その人らしくなっちさんの看護をするしかないと思います。患者さん本人もそうですが、家族もこころを痛めています。
さりげなく話をきいてあげるだけでも家族は気持が少し楽になるとおもいますよ。
私もたくさん患者さんの死はみてきました。
やはり、最後に家族や親せきに身取られる人は幸せだなあと感じます。
看護師になってから私は祖父を2人亡くしました。
でも、二人ともたくさんのひとに囲まれてよかったのではないかとおもいます。
最近独身で身寄りがない男性が多いです。兄弟とも疎遠で。。
そんな人はやはり心配ですね。
なっちさん、悲しいでしょう。つらいでしょう。
私も、もう受け持ち患者さんを亡くすのは嫌だー!と思って元気そうな人を受け持ったりしましたが、やっぱり亡くなられてしまう。
それは自分なりの死生観の構築が追いついていないからでしょうし、死は忌みなものとするのが日本の文化であるからでしょうね。
・・・そんな私も今は亡くなられた患者さんが託してくださった言葉を実践に移すべく頑張っている最中です。
闘病がものすごく過酷な方でも、苦しみを共に分かち合った仲間といえるまでの関係性を構築できると、その方たちは亡くなられて何年も経た今でも自分を励ましてくれる存在になります。
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看護師お悩み相談室