看護師お悩み相談室

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死ぬということ

<2024年03月03日 受信>
件名:死ぬということ
投稿者:匿名

看護師や医療者は死と直面する場面も多々出てきますが、最近よく考えます。
さっきまで魂宿っていた者が魂が抜けて脱殻のようになる。
日本は火葬ですが、痛くないのか?
もし火葬されているときに魂が戻ったりしたら、、、。
自分はどんな死に方をするのか?
などなど。

もう若くもない年齢まで生きて一刻一刻、死に近づいてます。

最近はよく死について考えます。
なんだか当たり前の営みのようですが辛くなってきます。


No.1
<2024年03月03日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

自分としては悔いなく生きようと。
何年か前から毎日のように高齢者の運転の暴走で巻き込まれて亡くなっていくニュースを見てると自分もいつそうなっても(被害者側)おかしくないなぁって。
なのでやりたいことはできる範囲でやろうと。
去年も高ーいお金払ってWBC観に行きました。
旅行もバンバン行ってます。
一度しかない人生なので悔いなく…ですね。


No.2
<2024年03月03日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

考える事あるよ。
でも考えても死期はわからないし、誰もがそれに近づいてるのは確実なので
考えても仕方がないと思う。
後悔のないように生きるとか聞くけど、それも私的には人それぞれで。
若い頃は希望や夢を持ってましたが老いを感じての今は特になく(自分だけの話)、
毎日笑って楽しく過ごし(仕事も少し)それだけ。
辛くはないです。
だれも確実にそれに近づいてて生き延びる人なんていないのだから。
自分的な考えです。


No.3
<2024年03月03日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

死後の世界には様々な人々がすでに逝かれてます。怖がらなくてもいい、ということです。
とはいえ私も「じゃあ犯罪者の死刑はどーなるのか」と考えます。地獄に本当に行かせられてエンマ様にひどい扱いを受けているのかどうなのか。または同じ生物同士、時には害虫駆除したり動植物を食してきた自分でも天国に逝くことができるとは思えない、とか。
でもどんなに偉業を成した人も必ず平等に生と死はあります。金銭や人間関係や差別など不平等な世の中であってもこれだけは究極の平等。逃れられないので生きているうちに可能な幸せをつかんでいくしかないと思いながら時の流れを生きています。


No.4
<2024年03月03日 受信>
件名:私も同じ感じです
投稿者:匿名

去年夏に父親を亡くしました。最後に会ったのがお正月。80歳半ばでしたが認知症もなくめっちゃ元気な人でした。時にうるさいなってくらい。
入院したことは事後報告で、面会許可出て面会した時はもう会話はできない状態。あまりにも変わり果てた父親の姿見た時にはもう涙涙で話しかけることが出来なかった。
3か月の闘病の甲斐なく逝かれてしまいました。
それから人の人生ってこうやってあっけなく終わる・・・・・・
50歳半ばまで生きてきて身近な人の死って初めてでした。仕事として何人もの患者さんは見送りましたが・・・・・・
最後父親との最後の時間は1日10分の面会だけ、会話なしです。虚しい・・・・この気持ち。
もっとしてあげられたことがあったのでは?最後は何を考えてたのだろう?今でも後悔あります。
自分の時はどうなんだろう?考える年齢になりました。


No.5
<2024年03月04日 受信>
件名:死について語る。。。
投稿者:ヴィヴィ

主さんは、70、80才ですか?
それとも、40、50代??

死について考えているみたいなんですけど、死とは苦しいのですよ。
自殺以外は死にたくないのに、死んでいきます。
この世で定められた命が終わる時、すなわち、死ぬ時が来たら、死神がお迎えに来て、無理やりあの世へ連れて行ってしまいます。
身近な人の死を経験した人であれば、自ずとわかると思います。
父の時も、死神が迎えに来たようでした。
私には見えなかったけれど、猫達は、一斉に何もない空中を見つめていました。。。
いつもは大人しい猫までもが、ただならぬ空気を感じ、威嚇していました。。。

人は死ぬと、暫くは耳が聞こえるようですね。
死後、直ぐに火葬場に直行する人もいるのかもしれませんが、火葬場で生き返ったとしても、後の祭りですよね。。。
この世に強い未練を残し悪霊となって、さ迷うのかもしれませんね。。。

この世で命がつきる時、その時は誰も知りません。
どういう死に方をするのかも、全くわかりません。


人は、いつか死ぬ。。。。。

だから、その日まで精一杯生きる事が生きている人の使命だと思います!!


不安に怯えるなんて、1日1日が勿体ないです!

ナンセンスですよッ 😊


No.6
<2024年03月04日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

様々信じるのは個人の自由てすが、ないものやわからないことに対して思い悩むことは些か時間と労力の無駄のように感じてしまいます。
魂の存在自体よくからないし、誰の体験談もない。
いつ死ぬかもわからないし。
要するに死んでみなければわからないのです。
そんなことに辛くなるなら、いつ死んでも良いように毎日毎日を大事に生きれば良いと思いますよ!


No.7
<2024年03月04日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

私が死について考えるのは貯金を全部使い果たして死にたいなあとか、物をどう処分するかの心配です。老人ホームに入るときには最低限のものだけを持って後は処分するしかないのだけれど。
若い頃に買ったブランド物や呉服の類に愛着があるし、くだらない土産物も捨てられない、親のものさえ思い出があって捨てられない。
精神的と言うか霊的なことに思いを巡らせる余裕はないです。


No.8
<2024年03月04日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

私は高一の時に父を亡くしました。20代前半で祖母、祖父を亡くして、それが当たり前かと思ってしまっていたので30代、まさか40代でも祖父母とは生きているものかと逆に同級生に驚いたぐらいです。
色々な天災が報道されるたびに、死とはなんだろうとも考えます。どれだけやっても否応なしに死が訪れるのなら、生きている意味って何だろう。怖いから生まれなければよかったのにと思うことも。
(死にたいという意味ではありません。生きていて楽しいこともある分、結局死んでしまうのならこの楽しい幸せなことまでもが無意味なのかと虚しくなるという意味です)

父が亡くなった時にあまりに呆然としていて、思春期の入り口だった私はなかなか消化できませんでした。
そんな私に「生きがいの創造」という本を勧めてくださった方がいました。15の少女が読むにはちょっと難解な本だったと思います。でも私はこの本でとても救われました。
当時の自分は若く多感だったし、そんな思考があったかは分かりませんが、死生観というものが変わったというならあの本を読んだからです。
よかったら読んでみてください。
すべて決めてきたことなら仕方ないか、じゃ頑張るかと思えます。


No.9
<2024年03月05日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

死は誰にでも訪れますね。
例えば病気になったり医療にお世話になる場合ですと、さまざま苦痛緩和できるお薬はありますし、そうこわがらずにいいと思います。
事故や突然の何か…でも強いエネルギーで一瞬のことかもしれません。

自分にできるのは安全に過ごすこと、毎日周りに感謝して、いつ何があっても悔いがないように生活することかなと思います。例えば車の運転する人でしたら自分が加害側にならないように注意を払うなど。

いつかは全員に訪れることですから、普通に生活できるうちに、会いたい人に会い、
見たい景色をみて、自分をいたわりながら過ごしたらいいかなと思います。


No.10
<2024年03月06日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

看護学校で「発達課題」を学んだときに、人は死ぬまでにいろんな課題があるのだなあ、課題をこなせなくてもこなせても、どうしたって死ぬのになあと考えたことを思い出しました。

死後の世界をトピ主さんのように考えて怖くなったのは小学生時代でした。
死ぬって何も無くなるって暗闇にいる感じかな、でも生きてるから暗いって感じるんだから死んだら何もわからないな、何もわからないいてどんななんだろうって考えて怖くなったことを思い出しました。
今では、それを怖いとも思いません。死んだ母と会えたらいいなと思うくらいです。宗教も死後の世界も特に信じるものはありません。今恐れているのは私が急死して部屋などを誰かに片付けられることです。

トピ主さん、ご家族いますか?お仕事してますか?心配事が他にないのであれば平和で幸せな人生です。


No.11
<2024年03月07日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

私は祖父母に育てられ母親も早くに亡くした事もあり死について最近強く考えるようになりました。

人生の折り返しを過ぎて、少しでも後悔のない生き方をしたいと言う思いが強くなり、一生懸命に生きようと努力するようになりました。人はいつか死にますし、どれだけ頑張ってお金や名声や富を得ても恩恵を得られるのは生きている間だけですが、それでも一生懸命に生きた証として死ぬときに「楽しかった」と思えるような生き方をしたいなと思っています。
子ども達にも頑張っている親の姿を見せて、一生懸命に生きる事の素晴らしさを感じてもらえたらなとも思っています。

私は死について考えるようになったからこそ、生き方も考えるようになったと実感しています。


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