看護師10年目の者です。私の病院では看護研究の発表を毎年各部署毎に義務付けられているのですが、入退職が激しくスタッフがなかなか定着しない忙しい中で毎年看護研究をさせられる事にいつも疑問を感じてきました。今まで院内の看護研究に3回関わってきて以下の点が問題だと思いました。
①研究というのは本来誰かに言われてやるものではなく自ら進んで行うものである
⇒義務的なので皆やる気が出ず、やっつけ仕事になりがち
②私達は科学者(scientist)ではなく、一般の病棟業務を第一にこなさなければならない
⇒多忙な病棟業務に加えて時間外での研究となるので身体的・精神的負担が大きい
③看護師が行える研究には物理的・倫理的に限界があり、時間をかける割には大した結果が得られない
⇒今まで論文や院内発表を見てきてそう思いました
定期的に看護研究を発表するのは悪くないとは思いますが、三年に一回程度で良いのではと感じます。この様に義務的に看護研究をやらせる風潮は他の病院でも同じなのでしょうか?
他の病院でも同じです。
①例えば、1人がとてもやる気があり研究したい内容があっても、他に希望者がいなければどうしますか?
やりたい人が、毎年、サービス残業をすればいいのでしょうか。看護研究に限らず、仕事ではやりたくないことをやっつけ仕事のようにやらなくてはいけないことは山ほどあります。自分の都合のいいように、看護研究だけ3年に一度で良いと考えるのは不思議です。
②忙しい仕事の業種は、業務の改善をしなくていいのですか?そうではないですよね。忙しいからこそ、より効果的な仕事をするために、相談をして改善していく必要があります。業務と看護研究を別々の仕事だと考えている視点が違い、業務の一貫なのです。ただし、時間外が支払われないのは問題だと思います。
③実際に、他院が研究発表された内容で、多くの看護が変化して、より良い看護になっていますよ。あなた自身が当たり前のように行っている看護は、看護研究によって改善された内容ばかりです。
半年に一度看護研究をしている病院もありますよ。医療は日々進化しているのに、看護は3年に一度で良い理由を教えてください。
多分、同じだと思います。
時間も無い中、メンバーが集まって、役割分担も揉める元になり、発表者を決めるのも大変でした。リーダーもやらないし。
論文も既にどこかで研究されて結論が出ているのに、「いや、角度を変えてみると…」に何日も…
この傾向は受け継がれているのですね(`o´)
かつての職場がそうでした。
院長の付き合いの関係で発表会に出なければならず、そのために惰性で毎年毎年参加。
職員の入れ替わりも多かったりして結局3年連続関わりました。
その学会ではコメディカルも含めいろんな職種が参加しているのにも関わらず、うちの職場は看護師のみ。
あまりにも不公平だということで他の業種のスタッフにもやるように意見してみたのですが、全くダメでした。
正直看護の中、そして高齢者の多い一般内科病棟では研究できることって限られているし、新たな発見というよりも無理やり日々の業務の中での良いことを探し出して発表するみたいな・・・。
今の職場は研究がないので楽ちんです。
私も看護研究に対して必要性や意味が見いだ出せません。私が勤務している病院ではTQMも行っていますがそれも含めて指導者の考えひとつで方向性が変わったりすることが多々あります。また、結果で得られたことをなかなか実用化、習慣化できない現実。正直、先行研究でほぼ結果が出ている。総合すると、時間の無駄、ストレスが溜まるだけ、達成感なし。認定看護師や専門看護師が積極的に行い学会で発表してもらいたいです。私自身もそのような方々の発表を聞きたいですし、自分達の施設でどのような形態で方法で取り入れられるかなどと検討した方がよっぽど看護の向上に繋がると強く思います。
お気持ちよくわかります。私の病院も毎年各部署、院内で発表しなければなりません。係を決めるときに、研究だけは・・・という意見も多いです。私も、研究だけは担当したくないと毎年思います。
だけど、①は誰もやりません。②科学的に看護を展開することは重要です。ただし、委員会など他の業務は免除してもらいたいです。私が研究を担当した際は、委員会、新人の指導者、チームリーダー、教育研修の掛け持ちで、それに研究が加わり、一緒に研究していた人が研究計画書の段階で4名中3人が病院の編成で部署異動になり、ほぼ一人でまとめあげた年は、休みはありませんでした。それでも、学会発表しましたよ。
よい論文を作る、上がそれを求めているのならば、せめて2年に1回にしてほしいですね。部長クラスは理想を語るのが仕事ですから、仕方ないですね。③はそうですね。研究という枠に当てはまらない内容が多いですね。
看護研究をしている病院はどこも同じだと思います。
私のご提案は
研究をしたことがお給料に反映するシステムにしたらいいと思うのです。
実際に、海外はそうしている国や病院があります。
だって、研究をすると、どこの所属の誰かということで発表するのだから、病院の広告塔にもなると思うのです。
今って看護師経験何年目でお給料が査定されていますが、組織にどう貢献したか?がお給料に反映されてもいいと思います。
そんな病院無いに近いですよね。一応成果主義的な考えを打ち出している病院は少しあります。
私は主さんの①②③の主張がおかしいことだとは思いません。
ただ、医者とか見ていると研究がアップのために必要になっている部分があるから、看護師も少しそういう部分があってもいいのではないかと思います。
私は大学院を出たので、研究の必要性は少しわかっているつもりです。もったいないのは、現場の看護師はたくさんの情報を持っているのにそれを製薬会社や医師など他の人たちにとられている事です。看護師さんはたくさんの情報を持っています、それが、努力がきちんと評価される状況になること、研究をする看護師さんが研究のスキルが上がることもしくは研究のサポートが受けられる状況になればいいなと思います。
主さん、私は「看護師は科学者だ」と教育されましたよ。現場に出たら全然そうではなかったけれど。
NO.6さん、確かに看護師は情報を他の職種に取られていますね。沢山の情報を持っていながら活かしきれていない。
看護研究、やる意味があるのかなと疑問に感じます。統計は適当だし、自分達が出したい答えに合わせて数字を作っていたり。でも、今の状況では、研究をやらないと看護師はただの医者のお手伝いさんで終わってしまうのですよ…。最終的には、誰のためでもない、自分達のために研究をしているのです。それが看護師の地位の向上だけでなく、患者さんや医療に貢献できる研究になった時こそ、看護は学問だと言えるのでしょう。
看護は学問じゃないよって声も聞こえてきそうですけど…。
No.1さん
すみません、三年に一度というのは間違いです。正しくは、「看護研究を行う間隔は決めない方が良い」です。テーマを思いついた人がそれに賛同してくれる人を募い、協力して行っていくのが理想の看護研究のあり方だと思います。一人でも研究は行えますし、周りが賛同してくれない様な内容の看護研究というのはどうなんでしょうか?
勘違いされているようですが業務改善≠看護研究です。業務改善程度の事なら病棟会議や日々のカンファレンスで十分に行えています。時間外が支払われるかどうかよりも、多忙な通常業務に加えて看護研究を行う事によるスタッフの疲弊を私は問題視しています。
私には医療の進化(?)と半年や一年間隔での看護研究を結び付けて考えるNo.1さんの考えが理解出来ません。
No.2さん
看護研究の担当者決定⇒テーマ検討という流れで、メンバーの皆が同じ考え方とも限らないから難しいですよね。無理やり問題提起している感が否めません。
No.3さん
看護研究は時間的余裕のある人がやるもの、あくまで+α。私は通常業務で手一杯なので、そんな時間があったら自分の家族を大切にしたいです。次に病院を選ぶ時は絶対に看護研究が無い所ですね。
No.4さん
「自分達の施設でどのような形態で方法で取り入れられるかなどと検討した方がよっぽど看護の向上に繋がると強く思います。」
⇒全くその通りだと思います。認定・専門看護師は通常業務とは別に動いていますし、部分的に集中して関わる事が出来るから研究は比較的し易いかもしれませんね。
No.5さん
「一緒に研究していた人が研究計画書の段階で4名中3人が病院の編成で部署異動になり、ほぼ一人でまとめあげた年は、休みはありませんでした。」
⇒お疲れ様でした。休みが無い程に負荷がかかっている先輩を見て後輩はどう思うでしょうか?離職率の高さや慢性的な看護師不足というのはそういう所から来ている様にも思います。確かに看護研究は大切かもしれませんが無理をしてまで行うものではない筈です。
No.6さん
「研究をしたことがお給料に反映するシステムにしたらいい」
⇒私の病院では人事考課を取り入れていますが、それによって昇給した人がいるのかどうかは分かりません。研究を行う・研究が推奨される環境が整っていない事が一つの問題なんですね。
ある意味、いまは、医師のお手伝いですね。現実は。法律でも、医師の指示のもとに、ですから。
研究に関して、No.1さんのやる気のある人が残業しなくてはならないのか?とありますが、なぜ、やる気のある人にあわせなくてはならないのですか?希望をつのる時点で、勤務時間外なら、本来やるやらないは本人の勝手です。もし上司命令なら、対価を支払わなくてはならない。仕事、なんですからね。
勉強、看護の地位向上という名目のもとに、労働違反を許すから、甘くみられるのです。病院のメンツや上同士の関係、こんなに看護研究がんばってます、他院の看護部長の手前で参加者を無理矢理出す、などそういうのが、すけてみえるんですね。
研究結果は、症例がおおい、環境、施設も資材も整い、ある程度の規模のところなら、信憑性もあるけど、小さい場末の病院では、症例もすくないし、比較にならない。
よって、やりたい人がやればいい。強制するなら、きちんと仕事として対価をはらうこと。だが、やりたい人が、やりたくない人に強制する権利はどこにもない。やる気だとか、看護のプライドとかは、スタンスが違って当たり前。評価するのは平看護師ではなく、上ですので。
時間外なら対価を払えという意見には賛成です。
対価無しで、命令されたテーマについて、研究する価値に疑問を持ちながらやるのは、虚しいものがあります。
No.7さん、No.9さん
「看護師は医師のお手伝いさん」というのはよく聞かれる表現ですが、私は看護師の業務の全てがそうであるとは思いません。処置や回診に付いている時は「看護師は医師のお手伝いさん」に傍から見ると思えるのかもしれませんが、検温や点滴投与や清潔ケア、検査や手術の搬送、入退院の対応等は医師の指示の元で動いてはいるものの「お手伝い」という感覚は私にはありません。むしろ医師の指示無しに動いているものも多いと思いますし。例えば毎日の清潔ケアや術後の2~3時間おきの体位交換の実施を毎回しっかり文章や口頭で指示する医師がいるでしょうか?(中にはいるのかもしれませんが)私達が当然の如く行っている事でも医師が知らない事は多い筈です。
医療は分業であり、医師・看護師・薬剤師・理学療法士・放射線技師・臨床検査技師・MSW・栄養士・看護助手・医療秘書・医療事務・院内清掃業者etc…各々が独自の仕事を持っています。これらの業種で「自分は医師のお手伝いさんだな」と感じている人がいるのか分かりませんが、少なくとも看護師でそう思ってしまう人というのは学歴コンプレックスがあるかプライドの高い人なのかなと思ってしまいます。看護師を辞めて医師を目指して欲しいです、なれるのであれば。
看護は学問か?どうなんでしょうね、考えた事も無いし、私には分かりません。
【ここまでの考察】
看護研究は対価が生じない時間外労働をいたずらに増やして看護師の心身の疲労を招く等、デメリットが大きい割に大したメリットが得られない。意義のある研究も多少はあるのでやる意味が全く無いとは言い切れないが、希望していない者に義務的・強制的に行わせるべきものではないと考えられる。
…看護研究は年金みたいなものですね。看護研究に無駄な時間を費やす位なら、患者アンケートの一つ一つに耳を傾けていった方が余程良い病院・医療従事者になれると私は思います。
どんなに理由をつけても、法律は医師の指示のもとに、なので、言い方を変えても事実はかわりませんよ。体交なども看護師がきめて自立してやっているのは、潜在的には、なにかあれば、院長である医師の組織的な責任になります。まあ、大げさですが、いまだ院長は医師ですから、その下にいれば組織的には医師の下に働いている、といえますよ。最近は副院長に看護師がいる大病院もありますけど。
学歴コンプレックス、プライドがあるから、お手伝いと思うのだ、とありますが、事実に目を向けず、小さな表現にこだわり、意識しすぎな人ほど、自分に自信がないために、あなたのいう傾向にあります。あなたが医師になる方が、自分の仕事での立場を強調できるかと思います。ただ、あなたの文章で、看護が学問でないかは、考えたことがないからわからない、とありますが、そうなると、あなたの意見やこの投稿に矛盾を感じます。
看護は医療の領域のおいては学問ですよ。国家資格ですし。研究否定派ですが、一方で研究によって今の業務エビデンスが確立され、また変遷しているのも事実です。それを考えたことがないのに、意味があるないを、あなたが語ることができるか疑問です。医師に対抗するかのように看護師の立場について語るのも、同じ土俵にたてていないです。学問的エビデンスがないなら、ただの流れ作業でしかないし、資格のある専門職にする必要もありません。また、そのことを年金と表現されるのもあまり例えとしては、例えになっていないです。年金は強制加入により、老後の保証が与えられるものです。(いまは、違いますが)
看護師についての表現についてこだわり医師になればいい、看護が学問かすらわからない考えない。結局、研究をやりたくないから、なんとかしたい、というのが投稿の趣旨なんでしょうが、論点がずれている気がします。
私もやりたくなかったのにやらされました。
そんなに看護研究がないと看護の質って向上しないもの
なんですかね?だったら、理学療法研究、検査技師研究、クラーク研究
はたまた営業研究をそれぞれの職でやったらいいのにって思ってしまいます。
研究ってそんな簡単なものじゃないと思います。明らかにしたいテーマ
を強く持つ人がすべきだと思います。私がいたチームは誰もやる気がなくて
アンケートも適当でデータの管理や分析も適当で、研究として発表するのが
恥ずかしいレベルでした。
所詮本当に看護師は医師のお手伝いだと思います。看護師の意見とか
医師も上も必要としてないですよ、黙って言われたことをして低い給料で
我慢するのがいい看護師ですよ。
それでも、私は実際病棟で患者さんと関わり看護をすることは大好きですけどね。
看護師が自分をどう捉えるかは、その人自身の問題だと思います(学歴などの問題ではないです、学歴に転化しているだけです)。看護研究についても同様です。
ただ私達が患者さんに対して行う事にはエビデンスがあります(全ての行為を頑なに考えなくてもいいかも知れませんが)。それでもEBNであるか、ただ医者に命じられたからする行為であるのか、自分がすることの意味を自分がどう捉えるかです。
研究についても同じで、つい『やらされ仕事』になってしまいますが、それをどう捉えるか。どう捉えてやるかという結論で私の職場は決着がつきました。
ハルさんが求めていたのは共感と最初の質問への答えのような気がします。ですので一番最初の質問に答えます。義務的に研究をさせる風潮は同じでしたよ。それと私の所も毎年研究発表がありましたが、研究期間は正味一年無いですし。これで研究になるのか疑問に思っていました。やっつけ仕事になって研究の意味が無いと感じていました。私も三年に一度位が適当だと思います。準備や研究のまとめと発表まで、それ位は必要です。私は研究を振られるのは予想していたので、腹をくくりました。
医者のお手伝いさんと云う言葉は、受け手によってイメージは様々です。エビデンスとか患者さんへの思いやり、ケアに対しての工夫等がないと、別に看護師の資格が無くても出来る事がかなりあります。そういう軽い意味で書きました。余談ですが介護士の研究発表を聞いたことがあります。内容は結構良かったです。
当院も同じく毎年研究をさせられます。
パートさんや夜専の看護師は除外されるので、常勤のみで行っています。
私も正直毎年やる意味あるのかなぁ、と疑問に思ってました。
だって、ほんとたいした内容じゃないし、結局先行研究の上塗りだし、
最終的に「・・・であるが、個人差がある」みたいな結論になりますし。
深夜入りなのに研究のために日勤終わりで集まったり、休みの日にも病院に
行ったりで、研究している期間はみんな疲弊していてなんだがギクシャクします。
私は独身なので時間的な余裕はありますが、結婚している人や子育て中の人は
大変だろうなと思います。
今日も休みだけどいまから病棟に集合・・・トホホです。
看護師不足の原因が、看護研究にあるとは思わないでしょうねー。前の病院のうちの部署がこの理由で、5人も外来や研究のないOP室に行ったり辞めたりしました。
家庭持ちは、研究所じゃないですからね。
厚生労働省が現状を考えて、辞めさせてくれたらと思います。
今は忙しくても、研究のない病院で、患者さんとお話したり、セルフケアが充実できてとても楽しいです。
このサイトはリンクフリーです。好きなページにリンクを張って頂ければと思います。
看護師お悩み相談室