看護師お悩み相談室

スポンサード リンク
相談を新規投稿する

看護大学教授(最近、どうも尊敬できません)

<2013年09月08日 受信>
件名:看護大学教授(最近、どうも尊敬できません)
投稿者:匿名

臨床経験を重ねてくうちに、最近感じるのですが
大学の教授って、すごいと思いますか?

学生の頃は、神のような存在と刷り込まれてましたが、最近、どうも尊敬できません。

自分のなかで何が変わってそう思うようになったか定かでないので、抽象的な文章になってしまうのですが…。

学生に、大学教授を偉い存在だと刷り込ませること自体が、臨床の場に悪い影響を与えているのではないかという気がするのです。

私と同じようなことを感じたことのある方、いませんか?

または、全然違う考えを持ってる方でも良いので、話を聞かせていただけませんか?

スポンサード リンク

No.1
<2013年09月09日 受信>
件名:学生です
投稿者:匿名

実習に行って思うこと、『あぁ、臨床でやっていけないタイプだから経験も浅いままに研究の道へ行ったのね…』です。
ベテラン指導者さんと同等もしくは完全に上から目線ですが、臨床経験の浅さや、コメントがずれていること、自己保身に必死で学生を売ること…全部バレてますって。教授のアドバイスに基づき修正した計画は、指導者さんから必ずツッコミが入り、⁇って感じです。自分の研究に特化した部分しか適切なアドバイスもできません。いかに自分が学会で顔が広いか、偉い先生方と知り合いか、という話ばかりでうんざりします。
二言目には、研究では、エビデンスが、と言いますが、スタッフも嫌がってるの感じます。
学生以上に実習施設に迷惑かけていると思います。
大学が増える=こんな人が増える、のでしょうね。ちなみに臨床が長い講師や准教授には、人物、指導ともにとても尊敬できる人が多いのですが。やはり研究を極めて教授になれるのは、一握りの変な人なのかなと思ってしまいます。


No.2
<2013年09月09日 受信>
件名:我以外皆我師と思えば心穏やか
投稿者:匿名

正直、私も尊敬できない教授いますよ。尊敬できない院長。尊敬できない高校教師。尊敬できない僧侶。尊敬できない親。
共通しているのは「誰からも尊敬されるべき」という押し付けが起こりやすい職業であること。
自分も、看護師は白衣の天使であるべきとか押し付けられたくありません。というか、思うのは自由だけど、看護師自身がそうあるべきと信じちゃって、暴言吐く患者にマジでむかつく自分を許せなかったりしてバーンアウトしたり。逆にOLかってくらい割りきった仕事をする看護師にイライラして、自分が転職するはめになったり。
自分の物差しだけで生きてるとろくなことありません。

短所も裏返せば長所。割りきって「我以外皆我師」と念ずれば、心穏やかに生きられます。


No.3
<2013年09月10日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

私は主さんと正反対なんです。
学生時代は、教授程退屈な人種はいないと思っていました。
ですが、臨床を経験し研修会に参加するたびに思うことがあります。臨床の看護研究や外部の研修でやっていることって、大学の授業でとっくに先生が講義したことと同じなんです。

研究者がいないと、今の看護ケアは存在しないし、原始状態なんだろうな。


No.4
<2013年09月10日 受信>
件名:主です
投稿者:匿名

No1様

<自分の研究に特化した部分しか適切なアドバイスもできません。>
→確かにそういう人は多い気がします。実際、臨床の看護師でも、「自分は◎科しか経験がないから他科がよくわからない」という人はいます。それはそれで現状であり事実なので、いいと思うのですが、自分の研究分野しかわからないのに、研究分野以外の所でも教授としてアドバイスしてくださる所に混乱が生じる気がします。アドバイスを受け取る側は、まさか専門外の判断でアドバイスしてるとは思わず、教授の専門知識を元にした指導と感じてしまいますから、混乱が生じます。私の教授への苦手意識も、似たようなところから派生しているのかもしれません。

<いかに自分が学会で顔が広いか、偉い先生方と知り合いか、という話ばかりでうんざりします。>
→確かにそういう人もよくいらっしゃいます。その人脈が具体的に、どのように生かされているのか、ということも含めて話をしてほしいのですが、なかなかそこまで話を広げて語ってくださる方と巡り会えないということもあるかもしれません。

<二言目には、研究では、エビデンスが、と言いますが、スタッフも嫌がってるの感じます。
学生以上に実習施設に迷惑かけていると思います。>
→No1さんが、具体的にどんな場面で嫌がっているのを感じたのかはわかりませんが、私は、エビデンスありきで看護してしまうと、本当の相手の姿を見つめたり、対応できなくなってしまう気がするときは多々あり、あまりそこを前面に主張されると嫌だなと思うことはあります。


No.5
<2013年09月10日 受信>
件名:主です
投稿者:匿名

No2様

もう、私も臨床に出てますし、尊敬できないことで何か実生活で困ったことが起きているわけではないのです。

ただ、これまで、教授を神的存在として崇めてきた学生時代→「教授って・・・尊敬できない」と思えている現在、までの心理面での変化にイマイチ自分が追いついていないというか。。

別に尊敬できないからといって、自分の物差しだけで判断して相手を非難したいとか、そういうのではないのです。むしろ、尊敬できなくなってしまった自分を受け入れてしまって良いのだろうか…といった感じです。


No.6
<2013年09月10日 受信>
件名:主です。
投稿者:匿名

No3様

<学生時代は、教授程退屈な人種はいないと思っていました。>
→是非、その部分を具体的に詳しく教えていただきたいと思います。

<ですが、臨床を経験し研修会に参加するたびに思うことがあります。臨床の看護研究や外部の研修でやっていることって、大学の授業でとっくに先生が講義したことと同じなんです。>
→私もそう思います。学生時代、散々勉強した教授の講義と同じ内容が、外部研修に行くと出てきます。最初、「研修会って一体何のためにやってんの?基礎教育でやったことの復習?」って思いました。だったらもっと臨床での学びを大切にする時間割いたほうが良いんじゃないかって気持ちになる研究会が多々ありました。あるいは、自分の母校にいない分野の専門家が多く出席する学会等では、新たな学びを得させていただき、本当にありがたいと思いました。

<研究者がいないと、今の看護ケアは存在しないし、原始状態なんだろうな。>
→研究者というか、私も当然、研究自体の存在意義は肯定できるんです。仕事内容も意味のある仕事だと思います。ナイチンゲールが統計学者でありましたし。にも関わらず、尊敬できなくなってしまった今の心理状態に当惑しております。


No.7
<2013年09月11日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

>学生の頃は、神のような存在と刷り込まれてました
のですか???びっくりです。

他の方が言っている通り、研究をされてそれが看護界の発展に貢献しているのは確かだと思います。だけど、一般看護師からすれば、臨床知識が不足していたり、古かったり、、、、だから論文なんかを読んでも、少し現場と剥離した感じを受けてしまうのだろうと思います。

教員が、研究も臨床も、オールマイティにすべきとは思いませんが、現実問題として、学生実習を大学の教員が指導していることには問題を感じたりはします。だからと言って、現場の看護師はそんな余裕はないので、臨床に卓越した学校側の人間を置いたがいいのではと思ったりもします。
というのは、他の方が述べているのと同じような意見からです。なんだか、臨床をこんな知識のない人に指導されて看護計画見てもらって、これじゃ学習のムダ。

当方、大学院生です。教授を神のようには思っていません。よその講座をみても、人格的にもよい人にはまだ巡り合っていません。勉強のために居るんだと割り切って、人間性を求めないようにしています。

これもまた、他の方が書かれていましたが、どんな職業であれ、私も職業で人を判断してしまう傾向がありますが、それはだめですよね。無駄な期待だと思います。まあ、本当にそんな人と巡り合えた人は、うらやましいです。


No.8
<2013年09月11日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

意識的に「教授は偉い」とすりこまれたのですか。それとも貴方が勝手に幻想をいだいたのですか。後者なら教授の方が迷惑です。人間なので絶対はありえないし、絶対の存在とするなら宗教ですね。教授だって一人の人間。それ以上でも以下でもありません。学生は教えられる立場で、いわゆる発展途上の段階。今臨床で働いているという事は自分で学ぶ段階です。相手から学ぶ事はあるでしょうが、対等な立場に立てる訳です。一緒に研究をすすめることだってできるんですよ。いつまでも学生気分でいると教授は絶対なのかもしれませんが、自分の足で前へ進んでいるからこそ尊敬できない部分がでてきたのではないですか。何となく「厳格な親のもとで厳しく育てられた子供が外の世界をみて色々な価値観がある事に気付き、親が絶対ではない事がわかってきた」みたいな感覚ではないかと感じます。またしばらく経てば教授の弱い部分も見え、それを許容する事もできたりする。自分の成長とともに考えや価値観諸々変わってくると思います。意見が違ったら読み流してください。     
ところで研修に関してですが、卒後間もない方達は「学校で学んだ事」でしょうが看護は生涯学習ですね。10年も経てば概念から変わってしまう事が多々あります。なかなか学ぶ機会のない中堅以降のナースには研修は大切なんです。看護の発展の為には研究畑の人材が必要なんです。研究側も臨床側も日々努力です。だから偉い、偉くないと考える事自体、無駄だと私は思います。


No.9
<2013年09月12日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

No7様

色々なコメントを読んでいて
「神のような存在」という表現は大げさなのかなという気もしてきました。でも、大学時代の自分にとって「カリスマ的存在」くらいにはやっぱり該当するのではないかと思います。

私は学生時代、何の理由も無くカリスマと思うようになったわけではなくそれは授業の内容からきていると思います。以下は、私が授業で教わったことです。
・看護大学の教授は、これまでの看護界を引っ張ってきた、これまでの看護の歴史を作ったリーダーのような存在である。
・教授は、海外含め、他の大学の学長や教授とつながりがあり、力を持っている。
・授業の内容の端々に、今日の病院看護師の反面教師とするべき面や未熟さ、いかに今の病院が間違っているかという話が沢山出てくる。
・自分(教授)は、ものすごく良い看護師(あるいは保健師・養護教諭)でもある。
・今の自分でも、体力的にはベッドサイドで働く看護師は無理だとしても、管理職くらいは臨床で上手くやれると思う。
・自分はクライアントから絶大なる信頼を受けている。
今、ざっと思い出せるだけでも、これくらいはありましょうか。あまり沢山挙げすぎても読みづらくなりそうなのでやめておきます。今、冷静に振り返ってみると、教授達の中には、「自分をカリスマ的存在とすること」を、学生とのラポール形成に利用していたのではないかと思える節があります。

>臨床をこんな知識のない人に指導されて看護計画見てもらって、これじゃ学習のムダ。
→そうです。臨床看護師の言っていることはとても大切だと思うんです(たまに、ただの八つ当たりみたいな発言も多々聞きますが…)。でも、残念ながら、私の母校では「現在の臨床看護師は反面教師」と指導されることの方が多かったのです。

>当方、大学院生です。教授を神のようには思っていません。よその講座をみても、人格的にもよい人にはまだ巡り合っていません。勉強のために居るんだと割り切って、人間性を求めないようにしています。
→院生だったのですね。私の母校には、「大学卒業→大学院→海外留学→教員」や、「大学卒業→大学院→行政→教員」といった経歴の先生方もいました。大学時代、私は
学部生でありながら、勉強がてら院生の授業にお邪魔させていただいたりしていたこともありました。当時、何十年も臨床経験のある看護師が、あまり臨床経験の無い教授からアドバイスをもらう姿を見て、「やっぱり教授ってすごいんだ。」と思って見ていました。でも、今、当時のことを振り返ると、なんだか滑稽な場だったのではないかと思っています。それでも、その中に学びがあるから、院に進学される方がきっと大勢いるのですよね。私の同級生の中には新人の頃から「絶対、臨床をやめて大学に戻るんだ!」と早々と宣言して大学に戻った子達が何人もいます。また、臨床に残っていても、当時受けた「カリスマ的印象」が忘れられず、大学に戻る道を考えている人もいます。「勉強のため」とやるべきことに焦点を当てている匿名さんのような方もいるのだな、と尊敬してしまいました。

文章長文ですみません。回答ありがとうございました。


No.10
<2013年09月12日 受信>
件名:No8様
投稿者:匿名

>意識的に「教授は偉い」とすりこまれたのですか。それとも貴方が勝手に幻想をいだいたのですか。後者なら教授の方が迷惑です。
→私が教授が「〝教授は偉い”と言えばそれだけで付いてきてくれる単純な子達に対しては、そうすれば済むことなのよね♪」と公言されていた場面も目撃していたので、刷り込まれたのだと思っていました。でも、もし今「それはあなたが勝手な幻想抱いたんでしょ?」と言われれば、そうなのかなという気もします。

>人間なので絶対はありえないし、絶対の存在とするなら宗教ですね。
→私も、ずっとそう思ってきました。また、授業では、哲学的に「宗教的に崇拝する気持ちではケアはできない」と教えられていましたので、学生時代から、「〝教授は偉い”ということにすれば済む」という考え方は、ケアと矛盾しているのではないかという疑問は薄々持っていました。

>学生は教えられる立場で、いわゆる発展途上の段階。今臨床で働いているという事は自分で学ぶ段階です。相手から学ぶ事はあるでしょうが、対等な立場に立てる訳です。一緒に研究をすすめることだってできるんですよ。
→No8さんの学校は、学生は教わるというやり方だったのかもしれませんが、私の学校では「大学教育は、教わるのではなく、自分から学ぶ。」というスタンスでした。なので、学部生にも研究はやらせていました。授業も、先生からの講義形式も当然ありましたが、ディスカッションや、学生同士で調べたことを発表しあうことも多かったです。

>何となく「厳格な親のもとで厳しく育てられた子供が外の世界をみて色々な価値観がある事に気付き、親が絶対ではない事がわかってきた」みたいな感覚ではないかと感じます。またしばらく経てば教授の弱い部分も見え、それを許容する事もできたりする。
→それは近いかもしれません。

  
>ところで研修に関してですが、卒後間もない方達は「学校で学んだ事」でしょうが看護は生涯学習ですね。10年も経てば概念から変わってしまう事が多々あります。
→そこも、実は気になっていることではあります。他分野の人たちと話すと、本当の研究というのは、誰がやっても同じ結果が出るものであると言われます。夫が他の分野ということもあるかもしれませんが、看護の研究論文を見せると「これが、研究なの?」と言われてしまいます。私は、無知なので、「看護は日々の業務や人間相手にしてることだから、他の科学の研究みたいに、確実な結論は出ないんだと思う。看護ってこんなもんなんだよ。」と答えてしまっています。

>なかなか学ぶ機会のない中堅以降のナースには研修は大切なんです。看護の発展の為には研究畑の人材が必要なんです。研究側も臨床側も日々努力です。だから偉い、偉くないと考える事自体、無駄だと私は思います。
→それは、その通りだと思います。

丁寧な回答ありがとうございました。


No.11
<2013年09月12日 受信>
件名:無題
投稿者:3です

主さん、そんなに深く考えることじゃないよ。
教授だろうがどこかの偉い人だろうが、みんな同じ人間。泣きもするし、笑いもするし、トイレにも行く。主さんは真面目な人なんですよ。
私はそんな主さんに好感を持ちますよ。
教授はすごい。
教授は退屈。
教授はすごい。
教授は退屈。
私は、それの繰り返し。だって看護が学問かどうか疑問ですよ。学問を語る前に、このサイトにあるような女のどろどろや、パワハラや何やらを整備したいですよ。
若い先生はやっぱり若いけど、年配の50~60代、あるいはそれ以上の先生の中には、いい味だしている、本当の学者がいます。数は本当に少ないけど。貴重な存在ですよ。


No.12
<2013年09月13日 受信>
件名:No7です。
投稿者:匿名

主さんがとてもまじめな方なので、私も自分の話をしてみたくなりました。参考になればと思います。

>学生に、大学教授を偉い存在だと刷り込ませること自体が、臨床の場に悪い影響を与えているのではないかという気がするのです。

これはいいのではないかと思います。私はこれからの看護は臨床と研究が結託して進めて看護界をリードするのが良いと思います。なので伝書鳩が帰ってくるように、あなたのようなまじめな学生が大学に帰ってくることを期待しているのですよ。数年のキャリアを積んで大学に帰りなさい。そこから道は開かれます。

私はCNSを目指す大学院生です。大学卒業後、数年の臨床を積み卒業した大学とは違う院にいます。CNSになろうと思ったのは、病院って縦割りで自分のところしか知らないので、もしかしたら困っているこの患者さんのケアについてもっと楽にやれる方法がよそで使われているかもしれない、組織を知りどこにリソースがあり有効活用できるかということをやりたくてCNSを目指しております。
病院ではまにゅあるのさっしんなどの仕事をしていたため、教授が学部制にする授業を聞いていて、がっかりすることがあります。私は臨床に根を張っている看護師であるつもりなので、こんなの意味ないよ!と言いたくなることがあり余す。
まあ、ここに求めてもしょうがないので、時々全部私に任せてもらえませんか?こんなおかしな授業するくらいなら・・・と思ったりします(笑)

大学院には2タイプ居ます。①実践が好きで知識を増やしたい人②実践が嫌いで辞めたいから大学院に来た人。学生実習で②のタイプの院生さんに指導を受ける看護学生もお気の毒ですが、社会とはそんなものだ!!!あとは学生頑張れ。

教授はね・・・ある面素晴らしい、ある面最悪、さいころのようにコロコロ変わるのよ。まじめに付き合っては精神が壊れてしまいますよ。相手はパワーも持っていますから、学生でいる以上従わざるを得ないしね。。。大変だね。


No.13
<2013年09月13日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

それって看護の教授ですか???

看護の教授のどこがすごいんですか???なんにもすごいと感じたことないですよ。他の世界の教授は確かにその道の権威って感じしますが、看護に関しては学問としてまだ10年そこそこで、なにを研究してんもかさえさっぱりな世界・・・これですごいっていえますか??なんか本物をしらないでみなさんかたってませんか???申しすこし他の世界とくらべてそれと同じようにやったらいいんですよ。大学がちゃんと結論出して、それを臨床に返す。それだけじゃないですか??大学の教授たちももって何を研究したいのか、本質の看護ってのを考えるべき。臨床のシステムはまだまだ変えられます。大規模なシステム作りが必要ですね。臨床も大学も・・・

看護は人間力のアップが全体的に必要かと。女性が多い職場であるため女性の性質を考えシステム作りが必要かと・・・あとは男性の進出が今後の看護の発展のカギかと・・・もう看護は女性の視点だけではダメたと思います。ハード面もソフト面も。
少しでも、実践でつかえるような研究しなきゃだめですよ。なんか答えの出ないものばかり研究している。いいのですが、それがつたわるほど人間力がないのですこの業界は・・・まずは完全なシステム化・・・そこから個人のいいところをだす。

なんか生意気でしたらすみません。主さんがどれだけ尊敬されていたかわかりませんが、他の社会を経験するともう少し違った見方ができませんか??世の中にはもっとすごい世界、いや看護がちょっと常識から外れてるだけなんだと・・・色々感じると思いますよ。


No.14
<2013年09月13日 受信>
件名:主です
投稿者:匿名

No3様

>主さんは真面目な人なんですよ。私はそんな主さんに好感を持ちますよ。
→本音で話せる間柄の人には、よく「真面目だね」と言われます。好感を持ってもらえて幸いです。実際、臨床ではこの真面目さが災いすることもありますし、真面目であるがゆえに上司の痛いところをついてしまい、酷い反撃を喰らうこともあります。真面目さゆえに、臨床では精神的に血を流しながら働くこととなります(笑)。

>だって看護が学問かどうか疑問ですよ。学問を語る前に、このサイトにあるような女のどろどろや、パワハラや何やらを整備したいですよ。
→そうですね。暴言・暴力・盗難…etc…病院内に、看護師専門の警察署でも置いてほしいものです。

> 若い先生はやっぱり若いけど、年配の50~60代、あるいはそれ以上の先生の中には、いい味だしている、本当の学者がいます。数は本当に少ないけど。貴重な存在ですよ。
→きっといるんでしょうね。お会いしてみたいですが、あまりできた存在だと、近寄るのも勇気がいりますね(笑)。


No.15
<2013年09月13日 受信>
件名:主です
投稿者:匿名

No7様

>私はこれからの看護は臨床と研究が結託して進めて看護界をリードするのが良いと思います。なので伝書鳩が帰ってくるように、あなたのようなまじめな学生が大学に帰ってくることを期待しているのですよ。数年のキャリアを積んで大学に帰りなさい。そこから道は開かれます。
→アドバイスありがとうございます。私は、真面目なのですが、キャリアなんてものを積めるほど、器用な真面目さんではありません。例えば最近の例でいきますと「何かミスを起こす→本当のミスの原因はなんだろうと興味を持つ→家でひとりでプロセスレコードを書いて、どこがミスの発端だったのか細かく探っていく→事実を上司に見せる→その情報が上司にとっては痛い情報だった→上司から全力で攻撃される→真面目な未熟者だからボロボロにギブアップするまで攻撃を喰らう」など…(笑)。私は色々看護について考えるのは好きですが、キャリアを積むキャラではないと思っています。

>私はCNSを目指す大学院生です。
→そうでしたか。病院によっては、看護部長さんクラスがCNSのことをよくわかっていなかったりして(私が以前勤めてた大学病院では、看護部長さんが「CNSより、認定看護師の方が上です。」と医師たちに力説していました…(^_^;))、大変そうだなと思いますが、それはさておき、とても患者様の役に立つ良い道を志したのですね。そういう方って本当に世の中のためになりますよね、とこれまで関わる機会のあったCNSさんを見てて思います。頭が下がります。

>教授はね・・・ある面素晴らしい、ある面最悪、さいころのようにコロコロ変わるのよ。まじめに付き合っては精神が壊れてしまいますよ。相手はパワーも持っていますから、学生でいる以上従わざるを得ないしね。。。大変だね。
→良きアドバイスをいただき、ありがとうございます。大学時代から、もっと早くそのことに気づいていれば、はまらなくて済んだ泥沼が多々あったのではないかと、色々思い出しました。No7様のような看護師になれないとしても、私の出来る範囲で関わった物事がより良い方向に向かえるように、日々精進していけたら良いなという思いを新たにすることができました。

色々教えてくださいましてありがとうございました。


No.16
<2013年09月13日 受信>
件名:無題
投稿者:3です

私は看護関係の院には行こうと思わんな。看護学の何者かになる意思はないし、だから教授達に対しても、普通のおじさんおばさんとして見ているわけ。卒業時に教授にどこかの院に行くように勧められたけど。
私はどの学問でも、研究と日常は違う(うまく表現できないけど)と思っているし、その方が学問の発展にはいいと思ってる。
例えばいろんな分野で名を残している人って、かなりの変わり者なんだよな。
看護に関しては、臨床と研究がある程度距離を保っていた方が、私はおもしろいね。
今は臨床の人達が退屈でしかたないからね。パワハラ改善しないし、ブラックさんも沢山いるからね。


No.17
<2013年09月14日 受信>
件名:もっと気楽に
投稿者:No8です

貴方が悩んでいるかと思い回答しましたが、どちらかというと議論したいんだろうなと感じ、余計なお世話だったと思いましたし不愉快でした。「私の大学は自ら学ぶスタンス」、、私は広義の意味を言ったのであり私自身も研究はやりましたしディスカッションもしましたし受身と言われると不愉快です。又研究に関しては看護の立場を少しでも高めたいと今まで看護界で頑張ってきた人達に対する侮辱とも感じます。「看護研究は研究とはいえない」それは実は研究をしている人たち自身が思っている事だと思います。ただ日々の成果を論文としてまとめ発表をし実績を積み上げていかないと認められないのです。看護師教育が大学へと移行しているのは高度化する医療には3年では足りないと専門卒の教員達が奔走し努力をしてきた結果というのは理解していますか。私の友人も大学院に進み教育の場に立った人も何人もいますが、それは大変な努力してましたよ。お膳立てされた環境で大学教育を受けてきて「教授が尊敬できない」といつまで自分の人生を他人のせいにすれば気が済むのでしょう。尊敬できなくても一向に自分の生活に関係ないとおもいますが何がトラウマになっているのですか。トラウマから開放されたければ貴方が「尊敬される教授を目指す」のが一番の解決かと思いますよ。きついこと言いましたがもう少し広い視野で気楽に生きればいいんですよ。私は議論が苦手ですし貴方の言葉に傷つきたくないので返答は結構です。


No.18
<2013年09月15日 受信>
件名:無題
投稿者:3です

もし私の発言の中にみなさんの気を悪くする内容があったら、すみません。
だけどですね、主さんが話したのは教授についてであって、大学院についてではないですね。大学院で博士号とっても、すぐ教授ではないですから。
主さん、年配の教授の中には、自分達のしていることや、自分自身についても悩みながら日々過ごしている、本当の教授がいます。教授である前に、人間的に素晴らしいんです。普通のおじさん、おばさん。そうでなきゃ、看護の研究しても意味ないですよね。人が人を看護するんですから。
私は他の道から看護の世界に入りました。私を受け入れてくれた先生達に感謝しています。学生時代、看護学に疑問を持ち、「学費返してください」と真面目に言いました。それを笑って聞いてくれた年配の教授に感謝しています。
教授はすごい。
教授は退屈。
教授はすごい。・・・
今、どういう感じ方をしていても、その感じ方をしていることは事実で、いいも悪いもないですよね。
何かを感じる、それが全ての学問の始まりなんですよ。
特に看護は、病気を抱えた患者さんが、いろいろなことを日々感じながら過ごしているわけで。その感じ方の一カケラでも、感じることが、看護の明日につながると思います。
私は主さんのような人、好感持ちますね。
教授もね、ご飯食べながら私に、あなたのような人の方がおもしろいって。散々毒舌吐いたのにね。
主さん、臨床、程々に頑張ろうね。


No.19
<2013年09月15日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

>貴方が悩んでいるかと思い回答しましたが、どちらかというと議論したいんだろうなと感じ、余計なお世話だったと思いましたし不愉快でした。

自分がこう言って、その後持論を展開しておきながら

>私は議論が苦手ですし貴方の言葉に傷つきたくないので返答は結構です。

と言うのは卑怯な気がします。

すみません横スレですが、
相手を非難しておいて自分の意見にはコメントするなといのは“ない”です。


No.20
<2013年09月15日 受信>
件名:私も
投稿者:3ですが

私も17を読んでそう思い、18を書きました。
「看護学生~」のコーナーにも、文面の細かいところから、大学院に所属しながら助教をしていると思われる方が、相手に対し「病んでいる」と激しい言葉を浴びせたことがありました。非常に残念です。
我々は看護の人的質を向上させるために学んできたし、これからも精進していく義務と責任がありますが、大学院に所属しているならなおさら、教育者としての言動に気をつけ、また相手に対する包容力を持つ必要があると感じます。
同じ大卒として、こういう時に残念に感じます。仲間割れをせずに、握手をして協働したいものです。このことは他のトピでも言いましたが…。女性だから心が狭い、などとは思いたくありません。
主さんが、教授に対して感じている思いも、何かこういうキャパの不足にもあるのかな、とも思います。私も学生の時、若い先生のキャパと自分の求めるもののギャップに苦しみました。学生ですから、当然、学ぶ、つまり相手から受け継ぎたいものがありました。
主さん、勝手にあれこれ書いてすみません。


No.21
<2013年09月15日 受信>
件名:何度もすみません
投稿者:3です

大卒ナースの投稿へのやり取りは、どうしていつも荒れるのかな。
臨床も、同じ看護師が、派閥やいじめやパワハラやらやっているけど、大卒の我々はそれらを整備する能力があるはずですよね。
だから、ここで、大卒者は握手をする、協力し助け合う。仲間なんだから。仲間なんだよ!?そうだよね!私はそれが言いたい。
私が退屈だと感じた教授にはそれが欠けていた。今思うと、そうですね。


No.22
<2013年09月15日 受信>
件名:No19番さんありがとう。そして主さんへ。
投稿者:No8です。

そうですね。私もかなり真面目な方で、だからこそ気持ちが軽くなるようにと真剣に回答した事が、そのまま主さんの考えと比較しコメント入れられた事に肩透かしをくらった感じだったのです。そんなに冷静に分析できるなら「悩み相談ではないでしょ」という感じでした。私からすれば回答もらった内容に異論を唱える事自体、違和感でしたし正直凄く傷つきました。他の方からすれば「そんなことで」というレベルなんでしょうけど。私のコメントが主さんを傷つけた事自覚しています。掲示板が荒れるかなと思いつつ投稿したのも事実です。ホントは議論大好きなんです。ちょっと心が曲がってましたね。ごめんなさい。そしてこれを読んでいらっしゃる方、どうぞ本題にもどしてください。


No.23
<2013年09月16日 受信>
件名:私もすみません
投稿者:3です

17さん、すみません。何かこう、風通しの悪さが、研究にも臨床にもあって困りますよね。
学生時代に困ったのは、人の研究やレポートを盗むということでしょうか。狭量さと功名心を感じて嫌でした。学生も、院生も、一部の先生もありました。臨床に出ると、さらにひどいですね。いろいろな学校を卒業した看護師があれこれやっています。
主人公は誰ですか?患者さんはどこにいますか?
研究にあたり、研究者が主人公も私はOK。患者さんが主人公もOK。だけど、アカデミズムと自分の立場を使った他人落としはどうかと学生時代から感じていました。そういうところです、教授のくせに、小せぇな、って不遜にも思っていたのは。言葉が悪くてすみません。


No.24
<2013年09月16日 受信>
件名:主です
投稿者:匿名

No.13様

そんな風に感じてらっしゃる方もいらっしゃるのですね。


No.25
<2013年09月16日 受信>
件名:主です
投稿者:匿名

No.16様

>私は看護関係の院には行こうと思わんな。看護学の何者かになる意思はないし、だから教授達に対しても、普通のおじさんおばさんとして見ているわけ。卒業時に教授にどこかの院に行くように勧められたけど。
→実は、私も院には興味を持てずにいます。学部卒業したての頃は、興味がありましたが、臨床やらずに院に行っても意味ないと思ってやめました。

>私はどの学問でも、研究と日常は違う(うまく表現できないけど)と思っているし、その方が学問の発展にはいいと思ってる。
例えばいろんな分野で名を残している人って、かなりの変わり者なんだよな。
→そうですね。それが悪いことだとも思いませんし。


No.26
<2013年09月16日 受信>
件名:主です
投稿者:匿名

No.19様

私自身、彼らの発言に対して、一切傷ついてないですし、全く気にしていないので大丈夫です。ただ、彼らは、私の反応は一切期待してないようなので、彼らに対する今後一切のコメントは控えさせていただきます。

ありがとうございます。


No.27
<2013年09月16日 受信>
件名:無題
投稿者:No7

久々に見たら・・・あれれ。。

主は否定してますけど、まじめなんでしょう。
そして、教授を否定していますが、このように自分の考えを述べられる看護師を大学はたくさん輩出したかったのですから、ある意味教育は正解かな。と思った。

そして、私が院生と書いたのが、妙な勘繰り(自慢)に聞こえたのかなとも思った。
私が院生だと書いたのは、今すぐ近くにたくさんの教授を見ているよ!という意味で言いたかったのね。
そしてCNSと言ったのは、私は臨床重視だけど、例えば自分の院は研究重視で教授は研究畑の人なの。
臨床を知らないの。
大学生の授業のお手伝いを院生はするのだけど、私は言いました通り、実践重視の人で、職場では機能評価に向けてマニュアルの刷新をしていたものなので、臨床とのズレがかなりかんにさわるのね。
(これは威張っているつもりでなく背景としてこんな人ですと言っておいて)

その上で、今の大学の先生に学部生が授業を受けているのを気の毒というかまずいと思うのね。

なんだか、私が自分の考えを展開するのに説明のために書いたことが、記述がよくなかったね。

主さんが私のレスに対して書いた部長の話のこともわかります。
CNS(専門看護師)CN(認定看護師)として使うね。CNの方が診療報酬が取れるんだ。管理職は病院にお金がどれだけはいるかが重要だから、だってそれで給料やいろんなものが買えるのだものね。CNSは診療報酬が取れるものが少なく、目的のシステムにメス入れて改革をするのが根本的な考えだから、何やっているか分からない怪しい存在ですよね(笑)だから、否定する人もいるの。

でもな、やっぱり私も臨床に戻る身なので、教授をそんなに偉いと思わない。研究室には教員になりたい人達もたくさんいて、その人たちは教授のご機嫌取りに熱心よ(笑)


No.28
<2013年09月18日 受信>
件名:主です
投稿者:匿名

No27様

>私が院生と書いたのが、妙な勘繰り(自慢)に聞こえたのかなとも思った。
→そんなことないですよ(^O^)友人にも院に行ってる子達は沢山いますし、偉いなーって思ってます。それは本当です。

>CNSと言ったのは、私は臨床重視だけど、例えば自分の院は研究重視で教授は研究畑の人なの。
→研究畑という話はよく聞きます。そして、現在臨床で活躍するCNSさん達を見ていて、臨床に卓越してらっしゃることも想像できます(´・ω・`)

>その上で、今の大学の先生に学部生が授業を受けているのを気の毒というかまずいと思うのね。
→なんかわかるような気がします。

>なんだか、私が自分の考えを展開するのに説明のために書いたことが、記述がよくなかったね。
→いえ、全然そんなことないです(・∀・)

>主さんが私のレスに対して書いた部長の話のこともわかります。
CNS(専門看護師)CN(認定看護師)として使うね。CNの方が診療報酬が取れるんだ。管理職は病院にお金がどれだけはいるかが重要だから、だってそれで給料やいろんなものが買えるのだものね。CNSは診療報酬が取れるものが少なく、目的のシステムにメス入れて改革をするのが根本的な考えだから、何やっているか分からない怪しい存在ですよね(笑)だから、否定する人もいるの。
→そうだったんですね。何で大学なのに、CNSが看護部で歓迎されてないんだろって、ずっと不思議でした。私はCNSさんたちが、臨床にちゃんと還元している場面(目立つところも目立たないところも)をこの目で見てきたので、部長の話にも不信感募りまくりでした!

>でもな、やっぱり私も臨床に戻る身なので、教授をそんなに偉いと思わない。研究室には教員になりたい人達もたくさんいて、その人たちは教授のご機嫌取りに熱心よ(笑)
→なるほどー。


No.29
<2013年09月18日 受信>
件名:主です(中間報告)
投稿者:匿名

主は、学生時代、「プロフェッショナルな看護師だと信じて尊敬していた教授」に対して、臨床に出てからモヤモヤとした尊敬できない感情を持つようになった、という悩みを抱えていましたが、皆さんとの対話の中で、モヤモヤが随分と晴れてきたように思います。

自分が関わった教授がたまたま尊敬できなくなってしまうような人であったのかな、という気もしていましたが、皆さんとの対話の中で、「たまたま」である部分、「たまたま」ではない部分、色々見えてきて良かったと思います。

学生時代は、教科書を執筆してらっしゃるような教授とも関わる機会があり、その緻密な研究心、頭の良さなど、本当にすばらしいと感じていました。今でも、その方の著作物を見ると、その内容に鳥肌が立ちますし、素晴らしい恩師と出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいになります。やはり、その点に関する気持ちは、今後も変える必要のない部分なのだろうと思いました。

でも、プロフェッショナルな看護の研究者という尊敬はできても、もう現在の自分には、プロフェッショナルな看護師という尊敬の仕方はできないのかな…という気が、正直しています。そして、皆さんの意見を聞いていて、そういう自分を受け入れても良いような気がしました。そして正直、一番若いフレッシュな学生時代に、研究者からではなく看護師から教育を受けたかった、という思いも多少あります。(そしたら、多分、こんなことを考えることもしなかったでしょうが)

今後も、教授とお会いする機会があるかもしれません。なんとなく、これまで継続してきた付き合いから想像するに、喧嘩になるかもしれませんが(笑)、それは、自分が臨床を知ってしまったからであり(この掲示板に書かれているようなことが、よくわかるようになってしまったし(笑))、仕方がないことなのかもしれない、と、諦める気持ちも湧いてきました(笑)。

悩み掲示板の中に、スレを置き続けてくださった管理人様にお礼申し上げます。

というわけで、今後も、教授に対する学生・臨床看護師の思いをお聞かせ願えたら幸いです。


No.30
<2013年09月18日 受信>
件名:今、非常に危惧していること
投稿者:3です

少し横道に逸れますが…
大卒でない看護師が大学院に行くのは、ご本人の自由ではありますが…。
しかし、臨床で経験年数と肩書きがあって、人格的にはかなり問題のある看護師(公務員だから簡単に解雇されない)が、大学院に通い、今まさに学位を取ろうとしている例を知っています。そういう人物が教授にでもなったらさらに大学は荒れるだろう、というような人物です。
ですから、私は学生時代は教授を心から尊敬はできなかったのですが、上記に挙げた例を考えると、私が教育を受けた教授陣は非常に人格者でしかも優秀でした。
正直、今私は臨床の嫌な面を舐めるように味わっていて、臨床に嫌気がさしてきています。いつか将来は何かの学位を取るでしょう。
看護の臨床と研究は離れていた方がいいという考えは変わりません。学生時代は逆だったかも知れませんが。
今でさえ、何かと問題の多い看護の世界。学士でない人間の参入により、将来さらに荒れないといいんですがね。アカデミズムはどこまでもアカデミズムでいてほしい。私が教育を受けた教授陣はそれを目指していた。看護学が学問?アホか、と不遜にも思っていたけれど。
今は、看護学の「臨床泥沼小競り合い化」を防ぎたい。教授らにハッパをかけて、アカデミズムの孤高さを保ちたいよ。無理かな。医学と対峙して医学の教授に学部乗っ取られそうだし。教授、しっかりしてくださいよ。


No.31
<2013年09月19日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

NO.13です。
NO.3さんへ
確かに人格者がこの業界には必要です。ちょっと臨床では少なすぎます。これが、根本的な原因かと・・・すべてにおいて看護業界は人格てきに逸脱しておりますね。あなたの考えには賛成しております。


No.32
<2013年09月20日 受信>
件名:主です
投稿者:匿名

No.31様

そうですね。人格者は良いですよね。私は、案外、看護師は魅力的な人もいると思っていますよ。私は、人格や人間的魅力と、仕事の出来栄えは別物だと思っています。教授も、魅力的な人が多いと思ってます。ひどい人も中にはいると思ってます。が、人格がおかしいと思ったことは一度もありません。
ひとつ、no.31様の意見に賛成できないことは、人の一面だけを見て、人格否定までしてしまっていること。そこだけは如何なものかと思います。


No.33
<2013年09月21日 受信>
件名:ありがとうございます。
投稿者:匿名

主さんへ
31です。あと13でもあります。
あらら。これは失礼しました。そりゃ顔の見えないところでの会話ですから私がどんな人物かわかりませんよね。私はそんな一方的に批判はしてませんよ。もちろん良い方はいます。いなかったらまわってないですよね。たぶんそんな業界はどこにもないです。が、どう考えても通常の社会より逸脱した人物は多いです。変わった人と人格は違うと思いますよ。陰口いったり仕事の根本を飛ばしてしゃべったり・・・こんなことは常識を考えれば働いている場所では話さないですよ。そういうモラル的にもまともじゃない人がいることが不思議なんです。主さんの言うとおり人間的魅力と仕事の区別をつけないで仕事してるとかも一つの原因かもしれませんね。一面でもあまりにも出すぎていればそれはやはりその人の持つものです。心理学的にもありますしね。私は別に批判的ではないです。むしろそんことはどうだっていいのです。教授だろうが、看護師だろうが、もっと周りをよくみて、世界をしって建設的に平和に解決し、シンプルに考えればもっとよい看護の世界がつくれるんじゃないかと日々思っているのですよ。ちょっと最初の論点とずれましたかね??まぁ~色々な人がいますからね。こうやって主さんとも意見を交わすことができて私は幸せです。ありがとうございます。人格否定に関しては謝罪いたします。今後きをつけてまいります。
ただ、教授や看護師・・・この業界はもう少し色々みること、人のモラルや人格のづくりに努力される、指導する方や組織がたりないのは事実だと感じます。これからなんらかの形でかかわれるといいなぁ・・・と思っております。


No.34
<2013年09月21日 受信>
件名:No7
投稿者:匿名

>モヤモヤが随分と晴れてきたように思います。
それは良かった。

>自分が関わった教授がたまたま尊敬できなくなってしまうような人であったのな、「たまたま」である部分、「たまたま」ではない部分
両方ではないですか?でも、いい教育を受けたのだとやはり思います。この次のパラグラフを読んでも、いい大学でいい教育を受けたのですね。うらやましいです。

私は、大学生の時は不良でした。教室の一番後ろに座り、ゲームや漫画を読むような学生です。単位さえ取れたらよくて、大学に入ったものの看護学は面白くない。と思っておりました。面白い、と思える教員にも巡り会えなかったです。単に私が判らなかっただけとも言えます。

なので、主が教授を尊敬するように教えられてきたと聞いたときは、すごくびっくりしました(笑)。多分、同じ大学・同じ教室にいても、座っている位置から違うかな~などと。
私が、改心したのは働きだしてからですね。でも、素敵な看護師に出会ったからではなく、単にいい仕事をしたいからです。一期一会、患者さんは明日はいないかもしれないので、自分のできる範囲の最高のことをする。

No29の4つ目のパラグラフの件ですが、昔、私が大学生であった時に、教授に
「看護も医師のように臨床をしながら教育・研究をする方がいいのではないか」
といったことがあるんです。医師の真似事をしたいのか?と激怒されました(笑)。
主なら、私の主張したいところがお分かりになれるのではないかと思います。医師は教授も臨床に出ていますよね。実践をやってはいますよね。
基礎系看護はいいんですが、臨床系看護は臨床と離れてしまうと、その研究は現場では意味がない・役に立たない・使えないものになりやすいですよね。昔のドラマのセリフを使えば「事件は現場で起こっている」のですから。また、自身が臨床を知らないでは教えられる部分も狭くなります。

ただ、看護学が学問としても若く、きちんと研究をできる人間が少ない、そもそも教えられる人間も少ないのが現実なので、そこまで求めてはいけないのかもしれないとも思います。昔、主が誰かのコメントに書いた、他分野の研究者から言わせれば、看護研究すら研究とは言い難いというような内容のこと・・・、実は私も他分野の人に言われたことがあるんですよね(笑)。その時のショックは大きかったです(笑)

例えば、アメリカの話ですが、私もアメリカの全州をことを知っているわけではないのですが、大学には研究を教える教員と臨床を教える教員は別なのだそうです。うらやましいですよね~。でも、アメリカの大学の学費って日本とはたとえ私立だとしても桁が違うのですよね。それを考えると、安い費用で、看護大学としてやれることは、今のやり方、主が受けた教育の在り方が精一杯なのだと思います。

大学生の時は教授を尊敬するようには、教えられませんでした。しかし、「看護界をリードしろ!牽引しろ!みんな大学院に勧め。」みたいなことはしょっちゅう言われました(私だけでなく、みんなにね)。その時は「このひと何言ってんだろう?これ(看護)面白くないし絶対嫌だよ。リードとかめんどくさい、看護婦さん怖いじゃん」と思っていました。まあ、これを見る限り、私も大学の教授のトラウマ、言葉の呪いにかかっていますよね。院行ってますから(笑)。

教授にモノ申してもよいと思います。相手がそれを受け止められる器があるか?あと、モノ申す側のもののいい方にもよると思いますが、個人的には是非やってください。精神的に横っ面たたかれるようなことになったら、教えてください。援護します(笑)。


No.35
<2013年09月25日 受信>
件名:お久しぶりです
投稿者:3です

NO.7さん、あなたも学生の時に後ろの席にいたの?
私もそうだよ。だって一番前は、目の前が教授の腹じゃん(笑)。
まあ、いつかどこかの学会で会ったら、このメンバーはお互いに援護射撃し合う、ということで…。

皆さん、どうも有難うございました。
お互いに精進しましょう。適度にね。


No.36
<2014年03月30日 受信>
件名:無題
投稿者:匿名

>臨床経験を重ねてくうちに、最近感じるのですが
大学の教授って、すごいと思いますか?

全く思いません。変な人たちの集まりです。

 
スポンサード リンク

相談を新規投稿する
スポンサード リンク

サイト内検索

検索

看護師お悩み相談室HOME