祖父が入院をして、医師から余命1か月だと診断されました。
病状説明を聞いている時に、自分が家族ではなくて、看護師として説明を聞いていることに驚きました。仕事をしているような気持ちで、自分の祖父の話を聞いていました。
今後の経過がわかることは、とても怖いことなんですね。今の時期しか、会話ができないのがわかるから、笑顔でいられる時間は、今しかないのがわかるから、できることをしてあげたいと焦ってしまいます。最後の瞬間に、家族を立ちあわせてあげたいと思っていますが、必ずできることではないですよね。自分も悲しいけど、泣いている場合じゃなくて、しっかり家族が不安にならないようにサポートしないと、自分まで動揺していたら、家族まで動揺してしまうって考えていたら、涙もでてこないものですね。冷たい人間なのかなって思ってしまいます。一緒に泣いたり、動揺したり、ちょっと良くなったら大喜びをしたいです。家族が、調子がいいと喜んでいても、ステロイドやモルヒネが増量してきていると分かるから喜べないですね。
考えたくなくても、仕事をしていると考えてしまいます。亡くなられる方の多い病棟で、
勤務することは、大変なことですね。
すごくわかります。
でも、それでいいんだと思います。
知らないでいることの怖さってあると思うし、「知っていたらもっとこうしたのに」という後悔がおこるかもしれません。知っているが故に現に春風さんはモルヒネが増えていることを現実として受け止め、そのおかげで最期の時間を大切に過ごすことができています。
パニックになって動揺するのも人間、ある程度事態が把握できて冷静でいられるのも人間です。
自分が後者ならそれでいいと思います。
家族のために医療知識のある私がいる、家族のための看護師、それだけでも看護師になった意味があるというものです。
おじいさまは春風さんが居てくれることですごく心強く、安心を得られると思いますよ。
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看護師お悩み相談室